テレポーテーション現象

テレポーテーション能力は人類の移動に革命をもたらすのか?


古来より洋の東西を問わず、人間や物品が瞬時に移動する「テレポーテーション現象」についての記録が多く残されている。
ときに本人が意図することなく、ときに特殊な訓練を積んで意図的に、テレポーテーション現象は発現している。
21世紀に入ると、最新科学の場で「テレポーテーション」の単語を目にする機会も増えた。
科学の進歩とともに、それまでオカルトとされていた物事が科学の領域に組み入れられることはよくあることだ。

▼目次
日本にもある瞬間移動の記録
意図せずにテレポーテーション現象に巻き込まれる人々
神秘的な力で瞬間移動を行なう人々
量子テレポーテーションは移動に革命をもたらすのか

日本にもある瞬間移動の記録

なんの物理的な力を借りることなく、人間や物体がある場所から別の場所に移動することを「テレポーテーション現象」と呼ぶ。
今日の常識からすれば、もちろんこのようなことが起こり得るとは思えない。
だからこそ、マンガ「ドラえもん」に登場する、「どこでもドア」のようなアイテムに、「あんなこといいな、できたらいいな」と憧れるのだ。
ことに、新型コロナウイルスが蔓延し、自宅でのテレワークや外出自粛を義務付けられている人が多い現在なら、なおさらかもしれない。

しかし、実際に生物や物体が、一瞬のうちにかなりの遠距離を移動したことを示す歴史上の記録が多く残っているのもまた事実だ。
それも、中世から現代まで、時代を問わずに残されている。

1593年10月25日、フィリピンに駐屯していたはずの部隊の制服を着た兵士が、突然、メキシコ市のマヨール広場に現れた。その間の距離は約14000キロも離れている。
なにが起こったのか、当の本人にも説明ができなかった。それも当然だ。
彼はメキシコ市に現れる直前、フィリピンの首都マニラの総督官邸で歩哨に立っていたこと、総督のゴメス・ペレス・ダスマリニャスが暗殺されたことを証言するのが精一杯。なぜ自分がメキシコにいるのか、説明できなかった。
数カ月後、フィリピンから届いた報告書で、この兵士の証言が正しかったことが立証される。
たしかにその日、総督は暗殺されていたし、同じ名前の歩哨が行方不明になっていた。
この話は、スペインの法廷記録に残されている。

1822年に国学者・平田篤胤によって著された「仙境異聞」には、寅吉という当時7歳の少年が、謎の老人にいざなわれて、江戸から常陸国(現在の茨城県)まで、毎日、それも瞬時に往復していたという証言が残されている。

試しに「常陸国へ行く道を知っているのか。路用は持っているのか」と訊ねれば「美成さんに貰いました」と言って、八百文ばかりを取り出した。
そして「私は師に伴われて、多くは空だけを移動していたので、下界の道は知りません。しかし、筑波山を向こうに見つつ行けば、やがて行きつくと思います」と言って、少しも案じる気配がなかった。

「天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞」今井秀和訳

著者の平田は、奇妙な体験をしたと語る少年・寅吉に、事細かく質問し、回答を引き出している。
その中で、寅吉から「月に行ったことある」という話も取材している。

私は寅吉に訊ねた。「星のあるところまで行ったというのは、月の様子も見たことがあるのか」。
寅吉は言った。
「月の様子は近くへ寄るほどに段々と大きくなります。(中略)さて、まず月の光って見えるところは国土における海のようであって、泥が混じっているように見えます。俗に、兎が餅をついているというところには、二つ三つ、穴が開いています。しかし、かなり離れて見ていたため、正しいところは定かではありません」

「天狗にさらわれた少年 抄訳仙境異聞」今井秀和訳

「兎が餅をついているというところには、穴が空いている」。満足な望遠鏡もない時代に、少年は、月にクレーターがあることに言及している。
月の他にも、空を飛んで海外の国々も見物してきたという。

寅吉は当時の知識人でさえ驚くほどの、自然科学の知識や、オルゴール、空気銃といった最先端のテクノロジーに対する知識を持ち合わせていた。
寅吉がずば抜けた早熟の天才だったのか、身近に寅吉に最新の知識を教えられる大人がいたのか、それとも、本当に謎の老人の元で修行した結果、不思議な力を身に着けていたのか。
真実はいまだ闇の中だ。

平田篤胤「仙境異聞」の原本の一部

意図せずにテレポーテーション現象に巻き込まれる人々

20世紀に入っても、テレポーテーション現象を体験する人が現れている。
神秘学者のウェルズレイ・T・ボウル氏の著書「サイレント・ロード」(1962年刊行)には、次のようなボウル氏自身の体験が載せられている。

「1952年12月、その日は嵐で大雨が降っていた。
そのとき私は、サセックスにある家から3キロほど離れた小さな村の駅にいた。
ロンドンからの電車が遅れ、最終バスも出てしまったあとで、その上タクシーも見つからなかった。雨は絶え間なく降り続けていた。
時刻は5時55分。
その日、6時ちょうどに、家の電話に海外からの重要な長距離電話がかかってくる予定だったが、事態は絶望的だった。
駅の公衆電話は故障していた上、嵐の影響だろうか、駅の事務室の電話も不通で使えないという。
私は諦めて、駅のベンチに腰を下ろした。
無意識に腕時計に目を向けると、針は5時59分を指していた。
自分の時計はいつも2分進ませている。すると、正確には5時57分か、ああ、あと3分しかないと、私は焦った。
その瞬間、なにが起こったのかはわからない。
気がつくと、私は自宅の玄関先にいた。
駅から自宅までは、歩いて優に20分は掛かる。
ドアを開け、柱時計に目をやると、時刻はちょうど6時。
私は、まもなくかかってきた長距離電話を受け、用件を済ませることができた。
落ち着いてから考えた。どうやら、私の身に、なにか不思議なことが起こったらしい。
後から確認したところ、驚いたことに、私の靴は濡れてもいなければ、泥も付いていなかった。
衣類も同様だ。雨にあたった痕跡は残されていなかった」

1887年、ウェールズで起こったテレポーテーション事件の報道記事

こんな話もある。
1968年6月1日の深夜、アルゼンチンで弁護士として活動していたビダル氏と妻は、ブエノスアイレスの国道2号線を車で走っていた。
彼らを先導して、前方には妹夫婦の車が走っている。4人はともに親戚の家へと向かっていた。

ブエノスアイレスから南へ120キロのチャスコムスを通りがかったころ、周囲に霧が立ち込め始めた。
心配になった義弟が、後方に目を向けると、付いてきているはずのビダル氏の車が見当たらない。
義弟はすぐに車を停め、ビダル氏の車を待ったが、一向に現れない。
心配になり、周囲を探してみたが見つからない。

なんらかの事故に巻き込まれたに違いないと感じた妹夫婦は、すぐに警察に連絡した。
合わせて、ビダル夫妻が運ばれていないか、近くの病院にも片っ端から電話をかけたが、そのような人物は運ばれていないし、近辺で事故も起こっていないとのことだった。

ビダル夫妻が消えて2日が経った。
6月3日の午後、妹夫婦に一本の電話がかかってきた。電話の主はアルゼンチン領事館。電話の主は、不可思議なことを話し始めた。
「今、こちらで弁護士のビダル夫妻を保護している」」
アルゼンチンからメキシコまでは約7000キロも離れている。
なぜそんなところにい彼らがいるのだろう。誘拐でもされたのか。
いたずら電話ではないのかと訝しんでいると、電話はビダル氏に変わった。
「自分にもなにが起こったのかはわからない。とにかくいま、自分はメキシコにいる。これからすぐに飛行機で帰国するつもりだ」

数時間後、ビダル夫妻はブエノスアイレスの空港に到着した。
念の為、病院へと向かっている道中、ビダル氏は話し始めた。

彼の話によると、奇妙な出来事が起こった夜、車を運転していると、急に青い霧が週に立ち込めた。
不思議に思いながらもそのまま走行していると、夫妻はしびれるような痛みを感じ始めた。
やがて、目の前を走っていた妹夫婦の車が見えなくなり、続いて視界も真っ暗になった。
慌ててブレーキを踏んだが、そのまま気を失ってしまった。

どれくらいの時間が経ったのかはわからない。
強烈に照りつける太陽の光の眩しさに目が覚めた。
周囲を見渡すと、まったく見覚えがない土地だ。
車内の時計が止まっていた。
慌てて車を降りると、車体の塗装が焼け焦げていることに気がついた。
通りがかった車を止め、ここはどこなのか尋ねてみると、メキシコの首都メキシコシティだという。
信じられない思いだったが、なにが起こったか理解できないまま、アルゼンチン領事館に駆け込んで助けを求めたのだという。

神秘的な力で瞬間移動を行なう人々

どちらも例も、彼らが意図して企てたことではない。一方は「こうありたい」と願った結果かもしれないが、もう一方は、そんなことを考えてすらいない。ただ、どちらも無意識のうちに起こっている。
もしも、テレポーテーション現象が、意志とは無関係に起こりうるとすれば、意図して同様の現象を起こせると考えることも不可能ではないだろう。
たとえば魔女や降霊術師の事例だ。
実際に、そういった例も記録に残っている。

1871年6月3日、ロンドン市内のコンデュイット通りにあるとある家で、降霊会が行われていた。
その場所に、約5キロ離れた同じロンドン市内の自宅から、霊媒として有名だったガビー夫人が突如、瞬間的に転送されてきた。
彼女は体重約110キロの巨漢だったが、なにより驚いた(のちに嘲笑の的となった)のは、彼女が下着一枚の姿で現れたことだった。
ガビー夫人が、この格好でロンドン市内を数キロにわたって歩いてくるのは、不可能に近かった。
彼女がなぜ、そのような格好でテレポーテーションを起こそうと思ったのかは、謎のままだ。

肥満体型だったガビー夫人のテレポーテーション事件は、世間の嘲笑の的となった

キリスト教徒にまつわるテレポーテーション現象の記録も数多く残されている。
スペインのカスティーリャ・イ・レオン州アグレダの修道女、メアリーは、1620年から1631年にかけて、約500回にわたってアメリカに旅をして、ニュー・メキシコの原住民にキリスト教を布教、改宗させたという。
車も飛行機もない時代、原始的な移動手段でアメリカに軽々しく旅行などできるはずもない。
事実、ローマのカトリック当局は、この「胡散臭い」噂にげんなりし、メアリーに「大西洋を渡ったなどとは言わないように」と釘を差している。
しかし後年、「船でアメリカに渡った」別の宣教師たちの証言からメアリーの体験の真実性が立証されることになる。

アグレダの修道女、メアリーを描いた挿絵

1622年、ニュー・メキシコにいたフロンゾ神父が、ローマ教皇ウルバヌス8世とスペインのフィリップ4世に宛てた手紙が残っている。
そこには、「自分の伝道に先駆けて、誰かがすでに原住民の改宗を行っている」旨が記されている。
彼らは、彼らの言葉で「青い服を着た婦人」と呼ぶヨーロッパの修道女から、キリストの教えを学んだと語った。そして、彼らがミサに使っている十字架や聖杯、術などはすべて、彼女が残していったものだと説明した。
のちに、この聖杯がアグレダのメアリーがクラス修道院のものということが判明している。

1630年、アロンゾ神父はスペインに戻り、そこで初めて修道女メアリーのこと、彼女がメキシコで原住民を改宗させたという話を耳にした。
神父はメアリーを審問する許しを得て問いただしたところ、メアリーが原住民の習俗を熟知していることに驚いた。
メアリーは自身の体験を記した克明な日記を残していた。
しかし、懺悔聴聞僧の忠告に従って、焼き捨ててしまっていた。
その日記には、地球は球体で、極を中心に自転していることも書かれていたという。

量子テレポーテーションは移動に革命をもたらすのか

2010年、「量子テレポーテーション」に成功したとのニュースが世間を賑わせた。
記事によれば、16キロメートルもの自由空間距離を隔てて、光子(フォトン)の間で情報を「テレポーテーション」させる実験が成功したという。
この実験の成功によって、従来の信号に頼らない情報のやり取りの実現に一歩近づいたという。
残念ながら筆者は、科学的な知識は一切持ち合わせていない。そのため、不十分かつ不正確な説明しかできないことをまずはご了承いただきたい。

記事によれば、この「量子テレポーテーション」は、これまで述べてきたようないわゆる「テレポーテーション現象」とは異なるものだという。
量子テレポーテーションでは、物質をA地点からB地点へと移動させるのではなく、量子もつれの関係にある2つの粒子(光子やイオンなど)を利用する。
量子もつれの関係では、互いが互いの状態に依存している。そのため、相手の状態の影響を受けることになる。

量子テレポーテーションはこの性質を利用する。
一方の状態を変えれば、もう一方にも同じ変化が引き起こされ、量子の情報がテレポーテーションされたことになる。
物質そのものがテレポーテーションされるというわけではないというのは、このためだ。

この量子テレポーテーション実験は、1997年に世界で初めて成功している。
2004年には東京大学の古澤明教授らが、3者間での量子テレポーテーション実験に成功した。
さらに2009年には、9者間での量子テレポーテーション実験が成功したことによって、量子を用いた情報通信ネットワークを構成できることが実証されている。
我々が生きている間に「どこでもドア」が完成することはないかもしれないが、量子テレポーテーションを活用した新たな情報伝達機器にはお目にかかれる日が来るかもしれない。

参考文献:「怪奇現象博物館 フェノミナ」J・ミッチェル、R・リカード著