浅野和三郎

仙人になった少年 浅野才一郎 その1


江戸時代末期、天狗にさらわれ仙人界での生活や師匠である仙人からの教えについて、詳細に国学者の平田篤胤に語った少年・寅吉。彼についての物語は「仙境異聞」として平田篤胤がまとめており、第一級の資料として現在もその強烈な存在感を放っている。
寅吉から約半世紀後。江戸末期から明治初期に、現在の名古屋市で天狗に見初められ、仙人となった少年の記録が残っている。
「仙界眞語」として後世に残された資料。これを明治時代の心霊研究家・浅野和三郎が口語体に翻訳したものを、さらに読みやすく現代文に訳してお届けする。

▼目次
1.はじめに
2.棟瓦の御札

1.はじめに

「仙界眞語」は、尾張藩の藩医を務めていた柳田泰治という人が残した記録です。
同家の邸宅は、現在(注:大正14年当時)も名古屋市宮町2丁目にありますが、なかなか広い邸宅で、その邸宅の東北の隅には秋葉山大権現が祀られています。
この社殿をお祀りするにあたって、ここに人間界ではまれに見る一大奇跡が起こっています。
他でもありません、同家の門人、浅井才一郎という人が、慶応3年(1867年)10月9日以来、霊界と現世を行き来し、しばしば現幽の境を突破して往来を重ね、やがて翌年の明治元年(1868年)12月13日の明け方に仙人となったということです。
本書は、これらの顛末を記述したもので、最近まで門外不出の重宝書として、みだりに他人に見せたりはしなかったのですが、大正13年(1924年)10月、名古屋市の熱心な心霊研究者である河目妻蔵氏が、かねてから泰治氏の次男、卓斎(たくさい)氏と親交があった関係から、柳田家で同書を読むことを許され、同時に長男の太郎馬(たろうま)氏の未亡人から、これらの顛末に関するさまざまな逸話を聞き取りました。

原本は漢字混じりの文章で、決して読みにくほどのものではありませんが、この際、広く多くの方々にも読んでいただきたいと願い、これを簡単な口語体に直し、同時に柳田家の家族の体験談をできるだけ補充して紹介することにしました。
この種の記録としては、珍しく要領を得ており、心霊研究の材料として世界有数のものであると信じています。

平田篤胤翁の「仙境異聞寅吉物語」に比べると、記事の詳しさにおいて一歩譲るところはありますが、真面目に内容を取扱い、当時の往復文書までも挿入し、一字一句ゆるがせにしていない点においては、かえって優れているようにも思います。

ちなみに、本書を執筆した柳田泰治氏は、維新後も長く存命し、明治24年(1891年)に名古屋市宮町の自宅でお亡くなりになられています。
本書中にもしばしば出てくる長男の太郎馬氏は、のちに政寛と改名し、世界各国の医学を研究して家業を継ぎ、東京で開業。引退後は郷里に帰り、大正9年(1920年)3月に、同じく宮町のご自宅で病没されましたが、未亡人となった奥様はいまなお健在で、自宅におられます。

次男の卓蔵氏は幼名を次郎馬といい、のちに内蔵三(くらぞう)と改名し、柳田家を出て笠寺村の眞野家を継ぎ、大正13年(1924年)3月に岐阜市で急逝しています。
三男の三郎氏は、陸軍軍医として三等軍医正まで出世し、彼も大正13年(1924年)3月に、名古屋市宮町の分家で病死したそうです。

2.棟瓦の御札

物語は、慶応3年(1867年)10月9日から始まります。
慶応3年という年は、まさに旧幕府から明治への一大転換期であり、人心もいやが上にも興奮の極みに達し、あちこちで血なまぐさい噂が聞こえていた時代でした。
また、いろいろな不思議な現象も頻発しています。
現に、その前年の慶応2年(1866年)には、日本全国、特に関西地方では「空中からお札が降ってきた」年なのです(※訳者注:空から伊勢神宮の御札が降ってきたという噂をきっかけに、全国で「ええじゃないか」運動が撒き起こった)。

尾張藩医である柳田泰治という人の門人に、浅井才一郎という17歳の青年がいました。澤井町に住む町医者の浅井才亮の息子でしたが、17歳にもなって時々寝小便をするような、ぼんやりした方でした。
この10月9日の夜は一度自宅に帰り、明け方近くになってから、宮町2丁目の柳田邸に戻ったのですが、どういうわけか、この日は終日、才一郎は食事をしません。

「お前、どこか体の具合でも悪いのか?」
師匠である、泰治は心配して尋ねました。「なぜ食事をしないんだ?」。
しばらくモジモジしていた才一郎は、ようやく話し始めました。
「実は昨晩夢を見たのです。夢のなかにひとりの見知らぬ方が現れ、明日は終日火の物を断ち、水を浴び、柳田家の東側にある土蔵の屋根に登って来いと言い付けられたのです。なんだか気味が悪いものですから、私は食事をしないでおいたのです」
これを聞いて泰治は笑いました。
「何かと思えば夢物語だな。お前は、日頃から天狗の話を聞くのが好きなので、そのような夢を見たのだろう。この頃は天狗にさらわれる者もいると聞く。繁昌院の秋葉宮へ参詣して、『頑愚な私ですから、お連れくださるようなことはご勘弁ください』とお願いしてくるがいい。そうすれば、自然と心も落ち着くだろう。行っておいで」
才一郎はおとなしく、師匠の命令どおりに伊勢町の修験者繁昌院へと出かけました。

しかし、帰ってきた10日の昼頃、才一郎はこっそりと土蔵の屋根に上って行きました。
すると不思議にも、秋葉大権現の御札が石を重しにして棟瓦の上に置いてあったのです。
「やはりあの夢は正夢だった」
急いでその札を持って柳田家の人々に見せたので、彼らも不思議な面持ちで目を見張りました。
「天から御札が降るという話はかねがね聞いていたが、なるほど事実かもしれない。たしかにこれは秋葉様の御札に間違いない」
「まったくどうももったいない話だ。早くお燈明をあげ、お神酒でも備えることだ」
近隣の人たちも話を聞きつけて、お神酒や燈明の準備はもちろん、門には青竹を立てて七五三(しめ・しめなわ)を張るやら、かがり火を焚くやら、大変な騒ぎになりました。

泰治もこのとき初めて、なるほど神の不思議ということは無視されぬものだということを感じだしたそうです。

▶▶▶▶その2に続く