ホワイトハウスは幽霊の館


アメリカ大統領の公邸として知られるホワイトハウス。大統領は家族とともに2階に暮らし、告示に関する執務も行っている。
世界の強国であるアメリカのトップに立つ大統領の公私にわたるホームであるこの場所は、幽霊が出ると噂されるスポットでもある。

▼目次

ホワイトハウスとは
リンカーンの幽霊
リンカーンの予知夢
リンカーンの幽霊列車

1.ホワイトハウスとは

大統領府であるホワイトハウスは、初代大統領であるジョージ・ワシントンの時代に建設が開始されている。礎石が置かれて着工したのは1792年10月13日。いわゆる定礎式は行われなかったらしい。

そのデザインは、ワシントンDCの設置と区画が決まり、当時の首都であったフィラデルフィアに変わる新種と建設が始まった際、ワシントンは大統領府のデザイン・コンペを行う。
集まった候補から最終的に9件まで絞り込んだ結果、アイルランド出身の建築家であるジェームズ・ホーバンの案が採用された。
工事の基礎部分は当時の黒人奴隷が、石細工は主にスコットランド人が工事を担ったと伝えられている。

着工から8年、1800年11月にホワイトハウスは完成する。
しかし、建設を命じたワシントンはすでに大統領職を辞していたどころか、すでに命を落としていた。
この歴史的にも重要な建物に初めて入居したのは、第2代大統領のジョン・アダムズだった。
以来、大統領府の場所は変わることなく、200年以上が経過した現在でも首都ワシントンとともにアメリカ政治の中枢となっている。

ホワイトハウス建設を指示した初代大統領のジョージ・ワシントン

2.リンカーンの幽霊

歴史的な建造物にはいわくが付きものだ。これはホワイトハウスも例外ではない。
ホワイトハウスには100を超える部屋がある。その多くの部屋に、かつての大統領たちのみならず、「ファーストレディ」と呼ばれた大統領夫人たちの幽霊が出没する。

なかでもいちばん有名なのが、第16代大統領のアブラハム・リンカーンの幽霊だ。
アメリカ国内ではだれもが知る有名な話で、ウェストミンスター大学のアウアバック教授の著書には「ホワイトハウスにリンカーンの幽霊が出ることは、アメリカ人ならばもちろん誰でも知っている」と書かれているほどだ。
リンカーンの幽霊の、ホワイトハウス内での目撃譚は数多いが、なかでも目撃例が多いのが、かつてリンカーンの寝室だった部屋。ここでは、リンカーンがベッドに腰掛けて靴を履こうとしている姿が多く目撃されている。第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト夫人の使用人も、その姿を見たひとりだ。
また、ルーズベルト夫人も幽霊を見ることこそなかったものの、夜遅くまで家事をしていると、しばしば近くに「この世のものではないなにか」の存在を感じたと証言している。

第4代オランダ国王を務めたウィルヘルミナ女王もまた、ホワイトハウスに宿泊した際にリンカーンの幽霊に出会っている。
ある夜、女王が寝ていると誰かが寝室のドアをノックする。
怪訝に思いながらも起き上がり、ドアを恐る恐る開けた。
そこに立っていたのは、肖像画で見かけたそのままのリンカーンの姿だった。
リンカーンは、女王を黙ったままじっと見つめていた。
あまりのことに驚き、その場に気絶した女王。目が覚めたときには、幽霊は跡形もなく消え去っていたという。

「ホワイトハウスで幽霊となって現れないのは、初代大統領のジョージ・ワシントンくらいだ」、そんなジョークさえホワイトハウス周辺のスタッフでは囁かれている。
ワシントンが現れないのは当然だ。彼が亡くなったとき、ホワイトハウスはまだなかったのだから。

そんな冗談を裏付けるかのように、第2代大統領のジョン・アダムズ夫人の幽霊も出る。
アダムズ夫人は、ファーストレディとして初めてホワイトハウスに入った人物だ。
彼女の幽霊は、ケープとショールを身にまとった姿で、夜明け前の長い廊下をしずしずと歩く姿で目撃される。
廊下の先にはイーストルームの二重になったドアがあるが、その扉をすり抜けて消えていく。
しばらくすると、今度は洗濯物を持って現れ、それを置いてまた消えていくと伝えられている。

彼女のこの行動にはわけがある。
アダムズ夫人が引っ越してきた当時、ホワイトハウスに物干し場がなかった。
困った夫人は、当時謁見室として使われていたイーストルームに洗濯物を干していた。
洗濯物を干す場所がなく困ったこと。苦肉の策として、謁見室という重要な部屋を物干し場に使っていたことが、主婦としてのアダムズ夫人の記憶に強烈に残っていた、ということだろうか。

深夜、リンカーンの幽霊を目撃したウィルヘルミナ女王は昏倒した

3.リンカーンの予知夢

ホワイトハウスでもっとも幽霊として目撃されるリンカーンは、自らが暗殺されることを事前に予期していたと言われている。
リンカーンの友人で、伝記作家のウォード・ヒル・ラモンによると、リンカーンが暗殺される3日前、リンカーンがその10日ほど前に自分が見た夢の内容をラモンらに話していたという。

「 私の周りには死のような静寂が広がっていた。それから、大勢の人々が押し殺してすすり泣きをするような声が聞こえた。
私はベッドを出て階下をさまよっているような気がした。
そこにも静寂の中に痛ましくすすり泣く声があったが、会葬者の姿は見えなかった。
私は部屋から部屋へと歩き回った。
人の姿は全く見当たらなかったが、至る所に同じ苦悩の悲しげな声があった。
全ての部屋が明るかった。目にするものはいずれも見覚えのあるものだった。
しかし、誰もが胸が裂けるかのように嘆き悲しんでいるのは? 私は訳が分からず不安になった。
これらはいったい何を意味しているのだろうか? これほど謎めいていて不気味な事態の原因はぜひとも探らねばならぬと決意して、歩き回った末に『イーストルーム』まで来て、中に入った。
そこで身の毛もよだつ驚きに遭遇した。
目の前に棺の安置台があり、葬儀服を着た死体がのせられていた。
周りには護衛の兵士たちが立っていた。
人々が群がり、白い布でおおわれた遺体を痛ましげに眺め、泣いていた。
私は兵士の一人に『ホワイトハウスで誰が死んだのかね?』と尋ねた。彼は『大統領です』『暗殺者に殺されました』と答えたのだ。
その後に群集から大きな悲しみ嘆く声が巻き起こり、私は目が覚めた。その夜はもう眠れなかった。ただの夢なのだが、それ以来、私を妙にいらだたせている」

Recollections of Abraham Lincoln 1847–1865 by Ward Hill Lamon

暗殺される当日にもリンカーンは、ボディーガードを務めていたウィリアム・H・クルックに3夜連続で自分が暗殺される夢を見たことを伝えている。
クルックはリンカーンが暗殺されるフォード劇場で、この日の夜に上演される予定の演目『われらのアメリカのいとこ』を観劇しないよう、それが無理ならせめて自分も予備のボディーガードとして同行させてくれるように説得しようとしたが、リンカーンは妻のメアリーと夫婦で行くことを約束していると話し断った。
リンカーンは劇場に向かう時、クルックに「さようなら。クルック」と語りかけた。
クルックによると、彼がそう言ったのは初めてのことだった。
リンカーンはそれまでは常に「おやすみ。クルック」と言っていた。

そして1865年4月14日金曜日午後10時頃、観劇中にジョン・ウィルクス・ブースに後頭部を狙撃され、翌日の午前7時22分に息を引き取っている。

左からヘンリー・ラスボーン少佐、クララ・ハリス、メアリー・トッド・リンカーン、エイブラハム・リンカーン、ジョン・ウィルクス・ブース

4.リンカーンの幽霊列車

非業の死を遂げたという強烈な記憶が、アメリカ国民からリンカーンの名前を消し去ることを難しくしたのか、リンカーンには奇妙な幽霊目撃談もある。

リンカーンの葬儀は盛大に営まれ、遺体は特別に仕立てられた葬送列車でワシントンからイリノイ州へと運ばれている。
ある年の4月。ニューヨークのアルバニーにあるニューヨーク中央鉄道の線路内に、突如「幽霊列車」が現れている。
しかも、その幽霊列車は毎年4月になると決まって現れるようになったというからただ事ではない。
幽霊列車の装飾は、リンカーンをイリノイ州まで運んだ葬送列車そのものだった。
目撃者はその様子を次のように伝えている。

「4月27日の真夜中、蒸気機関車に牽引された列車が音もなく現れ、滑るように走ってきた。
線路の両側には黒く吹き流しがはためき、周囲にはいつしか悲しげな葬送曲が流れていた。
葬送列車が駅に到着すると、南北戦争当時の軍服を着た兵隊たちが棺を肩に担いで列車に安置し、やがて列車は再び発車した」
ただ呆然と見守るばかりの駅員たち。
不思議なことに、彼らが持っていた時計はもちろん、駅舎内に掛けられていた時計もすべて、列車が現れたときに止まり、出発したときに再び動き出したという。