昭和の心霊研究家、平野威馬雄氏が遺した著書「日本怪奇名所案内」(二見書房刊)には、日本全国86ヵ所の心霊スポット、ミステリースポットが紹介されている。
体験者の多くが実名で証言している、イラストでほぼその場所を特定できる地図が掲載されているなど、現在では考えづらい、昭和ならではの作りとなっている名著だ。ここでは、本書から「道」にまつわる心霊スポットを紹介する。
▼目次
大正時代から噂が絶えない小坪トンネル(神奈川県鎌倉市)
事故死した青年の霊が現れる坂野坂トンネル(愛知県蒲郡市)
被害者の霊が現れる、松原団地の踏切(埼玉県草加市)
大正時代から噂が絶えない小坪トンネル(神奈川県鎌倉市)
神奈川県道311号鎌倉葉山線に小坪トンネルはある。鎌倉市材木座と逗子市小坪を結ぶトンネルの正式名称は「小坪隧道」で、1913年(大正2年)に開通している。
このトンネルは、古くから心霊スポットとして広く知られてきた。
車で通行するとボンネットの上に人が落ちてくる、女性の霊が手を上げて車を停める、何者かが勝手に後部座席に座っている、「タクシーの客として乗せ、目的地で振り返ると誰もいなかった」という、典型的なタクシー幽霊の経験談も伝わる。
昭和の文豪・川端康成の短編小説「無言」にも、幽霊トンネルとして登場する小坪トンネルの「心霊性」を際立たせているのが、トンネル開通工事の際に亡くなった被災者を慰める「隧道工事殉職者慰霊碑」と、なによりトンネル上部に今もある火葬場の存在だ。
「幽霊が出る」と思わされるに十分な舞台装置と言っていい。
1976年に刊行された「日本怪奇名所案内」(平野威馬雄著)には、タレントのキャシー中島の体験談が載せられている。
文中では「去年の夏」のできごとと語られている。
本書の刊行が1976年であることを考えると1975年、執筆が1975年に行われたとするならば1974年の体験談らしい。
ある日キャシー中島は、タレント仲間4人と鎌倉市小町にあると噂される廃屋の心霊スポットへと車を走らせる。
その廃屋では深夜、鎧を着た古武士が鎧と太刀を身に着けて、屋内を歩き回るのだという。
現場に着くと、玄関は厳重に封鎖されて入れない。せっかくここまで来たのにこのまま帰るのはつまらない、そこでということで、同行者のひとりが「小坪トンネルに行こう」と提案する。
午後9時頃、一行の車は小坪トンネルに到着。車で中ほどまで走ったあたりで、ひとりが異変に気がつく。
「みろ! みろ! フロントを!」
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
K君のオロオロ声。
このとき、私たちは、はっきりと見たのです。トンネルの遠くの方から、丸いような、青く光ったものが、だんだんと近づいてきました。
ハッと、思うまもなく、フロントガラスの正面に大きな、青白い掌が、ペタッと、くっついたのです。
五本の指が、はっきり、ガラスに貼り付いたように……それが、瞬時にして消えると、指紋だけが、ギラギラ燐光をはなって、いつまでも消えませんでした。
運転していたKは、慌ててアクセルを踏みつける。
すると今度は、車の屋根から大きな音がする。
車の屋根に、大きな岩が落ちたように、ドシーンと、つぶれそうな反動で天井がキシみました。トンネルの中で、岩が落ちてくるなんて……その音は、とても大きく、私たちの体が、しばらく、しびれたようになりました。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
K君は、真っ青になって、なおもつよくアクセルをふみ、ようやくトンネルを出たのです。外はかなりの雨が降っていました。
トンネルを抜け出すと車を停め、近くにあったガソリンスタンドへ徒歩で向かった。お茶でも飲んで落ち着こうという算段だ。
車を停め、一息ついていると違和感を覚えた。
同行者のひとり、ケンちゃんがいない。
全部で5人いたはずなのに、ここには4人しかいない。
車を降りてガソリンスタンドに向かう道中、どこかで転ぶかなにかして遅れたのだろう。
そう思って待っては見たものの、ケンちゃんは現れない。
そこで、一行は車を見に行くことにした。
またもや、雨の中を四人そろって、自動車のところへ行ってみました。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
すると、そこにケンちゃんが、いました。
助手席に、銅像みたいにカチカチになって、顔を上に向け、両手をかたくにぎりしめたまま、足を踏ん張って動かないのです。
顔をみると、ニヤッ! と、気味のわるい、笑い顔ともつかず、しかめっ面ともつかない、一種異様な表情で、葉をむき出したまま石のように、カチカチになっているのです。
残った4人は、大急ぎでケンちゃんを病院に運んだ。
検査の結果、身体的に問題は見つからない。しかし、意識は正常に戻らない。
ケンちゃんはそのまま入院し、1年経った後でもベッドにあおむけになったまま、「あのときそのままの表情、つまり、カチカチになったまま、あの、ゾッとするような謎の笑い声を響かせながら、うつろにひらいた眼をして歯をむき出したまま」だったという。
事故死した青年の霊が現れる坂野坂トンネル(愛知県蒲郡市)
東海道新幹線の三河安城駅と豊橋駅を結ぶ線路の途中に「坂野坂トンネル」はある。1964年に開業した東海道新幹線に合わせて、その2年前、1962年8月22日に導坑貫通している。
昭和後期、このトンネルには幽霊が出ると話題となった。
「日本怪奇名所案内」には、1969年の目撃例が掲載されている。
目撃者は、名古屋軌道KK蒲郡出張所に務めるK氏だ。
わたしは、そこで終列車と始発列車の間の真夜中に、トンネルの線路の点検や補修をやるんだ。坂野坂トンネルには、西口の松林のなかにその資材を保管してあって、保線区員が、毎夜一人ずつ交代で、張り番をしているんだが、実は、張り番をやるものが、オレはいやだって言うんだ。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
わけをきくと、ひとりになるとうめき声やすすり泣く声がきこえてきて、気味が悪いって言うんだ。
そんなこと言っていたら仕事にならんから、まあ……じゃ、わしが行ってみる、ってことになって張り番したんです。
午前2時頃、近くで妙な気配を感じた。耳をすませばうめき声のようなものも聞こえる。
そこで、たしかめようと懐中電灯を手に取ろうとするも、手元が見えない。
月が出ているのにね。手をさし出してみたら、指先がみえない。さすがにオドロいて、目をこすったけれど、依然、その奇妙な現象がつづいて、こんどははっきりすすり泣きが聞こえてくる、こりゃ幻覚じゃないと分かったんです。
以降、張り番は2人体制にしたが、気味のわるい出来事は多発したという。
その「多発した」出来事について知りたいものだが、記載はない。
ネット上のうわさでは、「坂野坂トンネルには赤い血が地面から湧き出す」というエピソードが流布しているが、その原点と思われるエピソードが語られている。
体験者は、作業員からタクシー運転手に転職した奥村徳夫氏(当時34歳)だ。
その松林から近いトンネルのなかに、赤水地点という、赤い水が湧くところがあるんです。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
私はモーターカーにのって、レール点検をやっているとき、それを見たんですよ。
ボーッと青白い人影で、初めは作業員かと思ったのですが、……いや、見たのは私だけではないんです。
体験談の主題は「青白い人影」だが、さらっと「赤い水が湧く」と語られている。怪異は続く。
午前一時ごろでした。上下線のあいだのコンクリートのミゾブタの上を、コツンコツンと歩いてくるんです。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
出た! っていうんで、みると、蛍光灯にてらされて、ハッキリ長い黒い影を引いた男が立っている。
そして、わたしたちをみつけると立ち止まって、こっちをジーッとうかがい、にらむように、みつめちるんです。
オーイッ! と言ったが答えないので、パッとそばへかけていったら、ふっと、いなくなるんです。
翌日、調べてみたら、工事の際、爆発に巻き込まれて亡くなった、九州出身の若い男性に似ていることが分かり、供養石を立てたという。
この供養石が、のちにトラブルを引き起こす。
近森武一氏(当時36歳)の証言だ。
邪魔っけな石だとおもって、トンネルの入口にはこび出したとたん、うしろから走ってきた無人の作業車にやられたんです。坂になってるならわかるが、平坦な道なので、ちょっと信じられないことです。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
近森氏はこの事故で大怪我を負い、取材当時は自宅で療養していたという。
被害者の霊が現れる、松原団地の踏切(埼玉県草加市)
本書の著者である平野威馬雄氏が直接体験し、さらには実際に起こった事件ともリンクする体験も収められている。
東武伊勢崎線の草加駅と松原団地を結ぶ線路上にある踏切で、1975年に女子短大生の刺殺事件が起こっている。
短大生のHさん(当時19歳 ※本書内では実名が記載されているが、ここでは伏す)が、1975年の春に踏切内で暴漢に襲われ、鋭い刃物で複数回刺され、亡くなっている。
以後、踏切近辺で白い服を着た若い女性が、血みどろの姿で歩いているのを見たという目撃例が相次いだ。
それを受けて、著者の平野は、当時鎌倉に住んでいた霊能者、鶴田照子氏とその夫の正起氏を伴い現場へ向かい、招霊実験を行うことにした。
1975年11月中旬の深夜2時、招霊は始まった。
しばらくして、スタッフの一人が、「アッ!」と叫んだ。
「日本怪奇名所案内」平野威馬雄著
星を映していた水たまりに、血みどろな娘の顔が! 見えた、はっきりと。
それも、表情が移り変わるプロセスまでも……。
(中略)
このとき、バリバリバリバリという、鋭い木の裂ける音がした……続いて、バシンッ! と、折れる音が、踏切のむこう側から聞こえてきた。
鶴田女史の(精神)統一は、ますます深くなっていく。
ぼくは、全身、カチカチに固くなってきた。
「折れた! 折れているぞ!」
スタッフの一人が、金切り声をあげた。
「早く! 早く! 来て……見てください!」
(中略)
見れば! なんとしたことであろう、黄黒だんだら模様の太い太い遮断器の棒が、まっ二つに折れていたのだ。
招霊を終えた鶴田氏は、「白い影の姿をした若い女性が踏切の向こう側からこちらへ渡ってこようとしていた。影が遮断器のところで消えた瞬間、棒がまっぷたつに折れた」と話している。
願わくば、その折れた遮断器の棒の写真が見たいところだが、本書に掲載はされていない。