鎌田忠三郎

【2020年4月現在】地震雲で地震予知は可能? 全国で相次ぐ地震雲の目撃例


2020年4月下旬、Twitter上で地震雲の目撃報告が相次いでいる。地震雲と地震との関係は、科学的には否定されているが、いつもとは異なる奇妙な雲を目にすると、不安を抱くのも心情だ。
ここでは、Twitter上に投稿された地震雲とされる現象の中から、特異なものをご紹介するのと同時に、日本に地震雲を活用した地震予知を広めた創始者、鍵田忠三郎についてご紹介する。

▼目次
関東と東北を中心に地震が頻発している
2020年4月下旬に全国で目撃された「地震雲」
地震雲研究家・鍵田忠三郎は8例の地震予知に成功した

関東と東北を中心に地震が頻発している

2020年4月以降、全国で大小の地震が頻発している。
4月20日以降に起こった震度4の地震だけに絞ってみても、長野県中部(4月23日13時44分発生)、茨城県南部(2020年4月26日9時49分発生)の2度、起こっている。

2020年の年明け以降、日本全国では159回の地震が起こっており、1ヵ月の平均で、毎月約40回にわたって地震に見舞われていることになる。

2020年の年明け以降、複数回にわたって集中的に地震に見舞われている地域がある。
特に多いのが以下の地域だ。

  1. 7回:茨城県北部
  2. 6回:福島県中通り、千葉県北東部、千葉県北西部、長野県中部
  3. 5回:青森県三八上北、茨城県南部、岐阜県飛騨
  4. 4回:福島県浜通り、栃木県南部

関東周辺と東北地方に集中しているように思える。

2020年4月下旬に全国で目撃された「地震雲」

そんななか、2020年4月20日以降、Twitter上に各地で地震雲の報告が相次いでいる。
その多くが通常の飛行機雲や高積雲だとされているが、Twitterの投稿を見てみると、一見異様な雲も散見される。

https://twitter.com/SSyumi0309/status/1252897345324244993

地震雲研究家・鍵田忠三郎は8例の地震予知に成功した

では、この地震雲はどのようにして広まっていったのか。

もともと東洋では昔から雲の形や動き,風の向きや強さ,太陽や月の見え方などを観察して天気を予知する「観天望気」が行われてきた。
長年の経験の蓄積に基づいて「夕焼けなら翌日は晴」「月に笠がかかると翌日は雨」といった知見は、現在でも生活に活かされている。
これらの現象は気象学的な説明が可能であり、実際にかなりの確率で当たる。

並行して、前兆的な「宏観異常」の観察による大地震の予知も中国を中心に昔から行われてきた。
1975年の海城地震では、この観察によって予知に成功、住民を避難させて人的被害をかなり軽減したと言われている。
しかし、翌年に起こった唐山地震では直前予知に失敗し、大きな被害を受けている。

日本では,戦時中に鍵田忠三郎(かぎた・ちゅうざぶろう)が雲と地震との関係性に注目し、1948年の福井地震を2日前に予知したとされている。
鍵田氏は、1967~81年に奈良市長を務めたが、その間、公衆の面前で何度も地震を予知して的中させたと伝えられる。
それらの経験を元に、地震雲を活用した地震予知の経験を一冊の本にまとめている。1980年に出版された「これが地震雲だー雲は嘘をつかないー」がそれだ。
地震雲という言葉はこの際、鍵田氏が生み出し世間に広めたものだ。
つまり「地震雲」という言葉は鍵田氏が作り出し、彼の出世とともに日本社会に広まったものと言えるだろう。

地震雲による地震予知の研究家、鍵田忠三郎(1922〜1994)

しかし、公的な機関で地震雲が認められていはいない。
たとえば気象庁は「地震雲は存在しない」と明確に否定している。
地震雲と地震との関係も「有感地震は毎日必ず日本のどこかで起きており、『地震雲が出た』と言えば必ず当たる」との見解を1983年に新聞紙面で発表している。

科学的には否定されていても、地震雲の信奉者は数多い。
鍵田氏の研究によると、地震雲の特徴として必ずしも震源地の上だけに出るのではなく「たとえば奈良県上空に出た雲が、中国の唐山や北海道沖の地震をも知らせる」と鍵田氏は語っている。

地震雲研究と情報網の発達は切っても切り離せない。
鍵田氏が「地震雲だ」と感じた雲が出た数日後、どこで地震が起こったのか、テレビや新聞が報道するようになったことから、地震雲と実際の地震との関連性の研究が可能になった。
現在ではTwitterなど、リアルタイムで両者の関連性を分析可能となっており、より地震雲と地震との関係について把握が容易になったと言えるだろう。

鍵田氏は、生涯で数百回の地震を予知し、予知を公表して的中させた8例について、その経緯を残している。
また、鍵田氏以外の地震予知の成功例として1973年のグアテマラと1975年の海城地震を挙げ、どちらも前日に真っ赤な夕焼けが出たと報告している。
鍵田氏はその後、自民党の衆議院議員を1期務め、阪神大震災の前年、1994年に亡くなっている。