関西地方で地鳴りの報告相次ぐ

地震予知を外した教祖、割腹自殺を図る(1974年)


1974年、「関西に大地震が来る」と預言した宗教集団「一元の宮」の教祖、元木勝一。市民を救おうと、大量のビラを撒き注意喚起するなどを行い、注目を集めた。しかし当日、預言した地震は起こらなかった。割腹自殺を図った元木はなにを考えていたのだろうか。

▼目次
「一元の宮」創始者・元木勝一はどんな男だったのか
元木、結核を患い神の声を聞く
大地震の発生を預言して、大阪・名古屋等で注意ビラを撒く
預言を外した元木は割腹自殺を図った

「一元の宮」創始者・元木勝一はどんな男だったのか

現在、大阪府八尾市高安山の山中で信者が共同生活を送っている宗教団体がある。
その名を「一元の宮」という。
一元の宮は、1950年に創始者の元木勝一(本名:元木勇)によって創始された。
教義は「浄霊を受け魂を磨き、天霊の霊教を身に付けて実行する。天地一切の元理を基にして行徳を積み、霊感を得て聖霊へと通じ、世界恒久平和に貢献する」ということらしい。

立教当時の名称は「大日大立元理教団」といった。
宇宙一元之大神を崇拝対象とし、大阪府大阪市を拠点に活動は始まった。

教団活動は順調に拡大し、1952年には宗教法人として登記する。
日々、教祖元木勝一を中心に信者は結託し、入信するものも増えていく。
最盛期には、約1万人もの信者が教祖のもとに集まったと言われている。

創始者の元木勝一は、1906年3月に、北海道空知郡で製材業を営んでいた、元木多吉・コマ夫妻の二男として生まれた。
高校卒業後、大阪に出て、鉄工所や造船所などでの仕事を転々とする。
貧しいながらも一所懸命働いていたが、やがて1928年に肺結核を患った。
これが元木にとっての転機になる。

元木、結核を患い神の声を聞く

そもそも結核は、極端に死亡率が高い「死病」だった。
空気感染、飛沫核感染する結核は、大都市の人口集中地帯で一気に感染が拡大する。
特効薬である「ストレプトマイシン」が開発されるまで、豊富な栄養を摂り、安静にすることで体力を蓄え自然治癒を狙うくらいの治療法しかなかった。
これはすなわち、「栄養が摂れず、ゆっくり入院する金がない貧乏人は諦めて死ね」と言っているのと等しい。

日本においても大正、昭和初期、特に第二次世界大戦真っただ中の1941年以降、結核が大流行し、多数の死亡者を出した。
繊維工場で働く女工が過酷な労働条件の中で結核にかかって若い命を落としたり、工場を辞めて故郷に戻り、そこで結核を広めるなど、結核を巡る悲話には事欠かない。

結核とはそのような病だったということを念頭に置いてほしい。
元木が結核にかかったのは1928年。
そして、特効薬のストレプトマイシンが開発されたのは1943年だった。
北海道の製材業の次男坊に、潤沢な資金があるはずはない。
粗末な食事を摂り、粗末なベッドに横たわるだけの日々。
元木は強く死を意識したはずだ。

医者から「残念だが、あと数ヶ月の命」と言われた元木は、その病床で神の声を聞く。
不思議なことに、神と接したと信じた元木は以後、結核が軽快し、やがて全快してしまう。
神の奇跡を、我が身をもって体感したことだろう。

結核による死の危機を乗り切った元木は、その後、山にこもって修行に励む。
その一連の修業のさなかで、ある種の霊感を身に着けたという。
修行が大詰めを迎えた頃、元木はふたたび神と出会う。
「神は世に出て霊身一体宇宙一元の大元理を釈いて世界を救うときが来た。救いの道一筋に精神して呉れぬか」との霊示を受けた元木は、自らを教祖とする宗教団体の設立を決意した。

大地震の発生を預言して、大阪・名古屋等で注意ビラを撒く

順調に宗教活動を続けていた教祖・元木勝一と一元の宮の信者たち。
1970年代の前半には最盛期を迎え、その信者数は1万人を超えた。

ある日、元木のもとにまたしても神からの啓示が降りてきた。
「1974年6月18日午前8時に大地震が起きる」
元木も、信者も、善良だった。善良だったからこそ、神の声を信じた。

この「お告げ」を信じ、市民を救わなければと考えた教団は、急ぎ、大量の地震警告ビラを刷り上げる。
この世の終わりに備えて、信者たちは自らの家や土地を売り払い、津波被害に備えて山間部へと避難した。
一方、別の信者たちは印刷したビラを、大阪や名古屋といった近郊の大都市のビル屋上から地上に向かって撒き散らした。

ビラを読んだ市民は戦慄した。
新鮮な話題に飢えているマスコミは飛びつき、連日報道した。

そして迎えた1974年6月18日午前8時。
マスコミは、大地震を前に演説を振るうであろう、預言者であり教祖、元木勝一の姿をビデオに収めようと、大挙して教団本部に押しかけた。

カメラの前に立つ元木。
刻々と迫る時間。
そして8時を迎えた。地震は来なかった。

預言を外した元木は割腹自殺を図った

元木の預言は外れた。
その日、1ミリも大事は揺れなかった。

以後の行動は、真面目だったがゆえのものなのか、教団を守るためだったのか、それともその両方だったのか、定かではない。

預言を外した元木は、部屋に閉じこもり、自らの腹部を刃物で刺し、割腹自殺を図る。
幸い、発見が早く、病院に担ぎ込まれたことで、命は取り留めた。
怪我を治療していた元木は、信者たちに向けて声明を発表した。
「私が自ら腹を割いたことで、大地震を止めることができた」

この言葉を信じる信者はいなかった。
かつて1万人を超える信者数を誇った一元の宮に残ったのはわずか100人。
そのほとんどが、教団から離れていった。

預言が外れたから、という理由で自殺を図る、そんなことは言語道断だ。
現在、Twitterや各種の掲示板にはある種の予言者、預言者たちが溢れかえっている。
彼らに対して、「予言が外れたのだから命をもって償え」なんてバカなことを言うはずがないし、仮にそんなことを言う愚か者がいたならば、全力で否定する。

その一方で、自らの預言が外れたことを悔いて、自身の腹に刃物を突き立てた元木に対して、筆者はある種の好感をいだいてしまうのだ。
「そこまでの覚悟でやったことだったんだな」と、その覚悟を褒め称えたい気分にさせられてしまうのだ。

1995年、自ら唱えたハルマゲドン思想が実現されないと見るや、信者を使って大規模テロを起こした宗教集団がいた。
彼らのようなハンパものと比べて、どこか清々しさを感じてしまう。

元木はその後、1981年に亡くなった。
教団は、いまも教祖を変えて存続している。