ウソのような本当の話10選 Part.1

ウソのような本当の話10選 Part.1


世界は広い。過去も含めればもっと広い(当たり前だ)。無限に広がる歴史の荒野には、とても信じられないような不思議な話が星の数ほど埋もれている。ここでは、それらの不可思議なエピソードを厳選してお届けしよう。

▼目次
第1話 世界最大の聖書
第2話 自らの余命を決める戴冠式
第3話 王様の褒美 その1
第4話 7分進んだ時計の理由
第5話 いつの世も王様は
第6話 離婚小咄
第7話大虐殺未遂
第8話生まれ変わりを信じて
第9話今も残る人間燭台
第10話 王様の褒美 その1

世界最大の聖書

アメリカ、ロス・アンジェルスに住むルイス・ウォジメルは、縦123センチ、横83センチ、重さ500キロ、8,043ページ、総文字数3,566,480字もの「聖書」を作った。

文字はすべて、ゴム印を使って一つひとつ押印したそうだ

自らの余命を決める戴冠式

西アフリカの西部、大西洋岸に位置する共和制国家、シエラレオネ共和国のテムネ族には、風変わりな風習があった。
族長に選ばれた人間は、戴冠式の日に「自分が死ぬ日」が確定する。

族長の顧問は、族長就任の日に、族長を海岸へと連れて行く。
大小さまざまな小石がばらまかれたその海岸で、族長は目隠しをされ、片手でつかめるだけたくさんの小石をつかむよう、命じられる。

つかんだ小石は慎重に数えられ、小石ひとつにつき、族長の余命1年として計算される。
20個つかんだのなら20年、30個なら30年といった塩梅だ。

定められた期間がすぎると、族長の顧問は致死量の毒を持って族長のもとに現れる。
族長の遺体は、山上の墓地へと運ばれるが、そのころには次の新たな族長が、海岸で小石を拾っている。

王様の褒美 その1

19世紀ベトナムの皇帝、ギア・ロンの墓が荒らされ、遺骨が行方不明となった。
当時の首都、フエに暮らす貧しい漁師が、ある日釣りをしていると、皇帝の神聖な頭蓋骨を見つけた。

漁師はさっそく頭蓋骨を持参し、王宮へと向かった。
報酬がもらえるだろうと期待したとおり、漁師はただちに高官に抜擢され、家族もまた、政府の庇護に置かれることになった。多額の終身年金の付与も決まった。
フエ近郊の漁師のために、仏塔も建立された。

幸運な漁師にもうひとつ、政府からの褒美が贈られた。
漁師は、神聖不可侵な皇帝の頭蓋骨に不浄の手をかけたという罪によって、すべての役職を追われたのち、処刑された。

7分進んだ時計の理由

ザクセン州のナイセ川流域にあるドイツの都市、ゲルリッツの市会議事堂の塔最上部にある時計は、1253年以来、必ず7分進んでいる。

1253年、テロリストの一団が、市会議員を皆殺しにしようと企てた。
直前になって、テロリストのメンバーのひとりが変心、当局に陰謀を密告した。

企てを聞いた当局は、知らないふりをしたまま市会議事堂の塔にある時計を、こっそり7分だけ進めておいた。
そんなこととはつゆ知らぬテロリストたちは、7分早く市会議事堂に集合してきたところを一網打尽に捉えられた。

市会議員たちは、危うく難を逃れたことを紙に感謝するとともに、救われた記念として、市会議事堂の時計を永久に7分進めておくことを、正式に議会で定め、現在に至っている。

……こんな手のかかることをしなくとも、アジトを急襲して全員逮捕すればよかったのではと、思わないでもない。

いつの世も王様は

16世紀後半から17世紀にかけてインドの国王を務めたジェハンジルは、釣り好きで知られた。
彼は、釣った魚を持ち帰り、さばいて食べるようなことはせず、必ず真珠の首飾りを釣った魚の鼻から通し、川に戻すのが常だった。

ジェハンジルがカシミールに滞在中のこと。
夜半に続いたオオカミの鳴き声に悩まされた彼は、「オオカミが鳴くのは寒いからだろう」と、家臣にオオカミを生け捕るよう命じた。

言われるがままに生け捕ったオオカミの数は、実に600頭。
家臣たちは、国王が命じるがまま、ヒツジの毛で作られたオオカミ用の上着を、オオカミたちに着せた上でふたたび野に放った。

ジェハンジルがカシミールを立ち去った後、市民たちはオオカミからヒツジの上着を脱がせるのに大わらわだったという。

離婚小咄

アフリカのタレンシ族で、「離婚したい」と願った夫は、妻が熟睡している間に、妻が寝ている小屋を運び出さなければならない。

妻が寝ているうちに、そーっと小屋を運び出し、16キロの距離まで達したときに初めて、法律的に離婚が成立すると定められている。

また、同じアフリカの別の種族では、妻が夫と離婚したいと考えたとき、夫に集落内に生える大木を切り倒してほしいと依頼する。

この大木の幹は鋼鉄のように固く、まともな刃物では切り倒せない。
夫が大木を倒すことに失敗した、これが正式な離婚事由となり、無事に別れられる。

大虐殺未遂

14世紀、中国の元朝最期の皇帝、順帝は、国内の宗教反乱を抑えるため、国民全員に法令を出した。
政府に対する反逆の罪として、張、王、劉、李、趙のいずれかの姓を持つ、すべての老若男女を処刑する、というものだった。

当時の中国の人口、5600万人のうち、5000万人が該当した。
順帝は、中国人10人のうち9人に死刑宣告を出したことになる。

幸い、その直前に明の初代皇帝となる朱元璋が新たな王朝を打ち立てたことで、前代未聞の大虐殺は免れた。

生まれ変わりを信じて

中国の都市・成都に暮らす、ホー・クン氏は、背中に馬の鞍を乗せ、四つん這いの姿勢で290キロメートルの距離を踏破、さらに標高3000メートルの山頂まで登りきった。
「なぜそんなことを?」との周囲からの問いに対してクン氏は、「来世は馬に生まれ変わるという夢を見た。そのときのための練習」と答えたという。

今も残る人間燭台

17世紀の中国の僧、チャン・トウンは、自ら希望して死後に「人間燭台」となった。
プウ・ト・シャン寺の僧侶だったトウンは、1690年に亡くなる直前、自らの遺体はミイラにし、寺に永久に安置してほしいと遺言した。
その際、両手に真鍮のろうそくを持たせ、灯りを灯せるようにしてほしいと願った。
トウンのミイラは、生前身につけていた僧衣を身にまとい、今日に至るまでプウ・ト・シャン寺の片隅を照らし続けている。

王様の褒美 その2

19世紀のモロッコの王、アブデルラーマン・ベン・ヒクェムが10歳のとき、川で溺れたのを助けたのは、アル・ベン・マホメットという名の羊飼いの青年だった。

時は流れ35年後、アブデルラーマンは国王となった。
そのことを知ったマホメットは、かつて命を救った恩賞を期待して、王宮へと向かった。

王宮に到着すると、ただちに国王との謁見が許された。
懐かしさのあまり、涙を流してひざまずいたマホメットは、陛下の命を救ったことに対する恩賞をいただきに参上した旨を言上した。

アブデルラーマン国王は、「必ず褒美は取らせる」と語ると、かたわらに控えていた従者に命じた。

「この男の首をはねるよう申し付ける」

マホメットは慌てふためいた。
私は、陛下の命をお救い申し上げました。なぜ、死刑にならなければならないのでしょうか?

もっともな申し出に、アブデルラーマン国王はこう語ったと伝えられている。
「私の命を救った大恩は忘れてはいない。しかし、いまの私は国王だ。どれほど大量の黄金を褒美に取らせても、命を救ってもらった報酬には十分とは言えない。
 私は国民から『命の恩人に対して、十分な褒美も与えなかった国王』と、後ろ指を指されるわけにはいかないのだ。ゆえに、大変気の毒な話ではあるが、死んでもらわなければならない」

理不尽極まりない話ではあるが、国王という大局から物事を見れば、こう考えなければならなかったのだろうか。

それとも、数十年経って、国王になったと思ったら褒美をせびりに来た羊飼いに腹が立ったのか。
真相は伝わっていない。