1908年6月30日、後にツングースカ大爆発と呼ばれる宇宙からの飛来物の落下事件が起こっている。
地形を一変させるほどの衝撃を地表に与えた大事件だったが、交通網も探検装備も現在ほどは整っていなかった当時、直後の調査は行われず、本格的な調査隊が送られたのは事件から13年後の1921年のことだった。
現在、その研究はどこまで進んでいるのか。新たな写真素材と合わせてお届けする。
▼目次
ツングースカ大爆発ではなにが起こったのか
レオニード・クーリック探検隊による調査
2013年の隕石落下事件
ツングースカ大爆発ではなにが起こったのか
1908年6月30日午前7時ごろ、ロシアのエヴェンキ自治管区ヴァナヴァラ村の交易所のポーチでくつろいでいた男性は、灼熱の爆風によって椅子から吹き飛ばされた。
40マイル(約64キロ)離れた場所にあるポドカメンナヤ・ツングースカ川の近くで、推定約2億2千万ポンド(約99,790トン)の小惑星が、時速33,500マイル(5,3913キロ)のスピードでで地球の大気圏に突入し、シベリア上空で大爆発を起こしたことが原因だった。
その衝撃波は、50万エーカーの土地を占めていた8,000万本もの樹木を消し飛ばした。
当初、ツングースカ大爆発は謎に包まれていた。
しかし、長年にわたる研究の過程において、現在では当時の状況をより理解できる新たな画像も多く発掘されている。
ツングースカ大爆発はアジア圏にも影響を及ぼした。
アジアのある国では、真夜中でも屋外で読書ができるほどの明るさになった。
この爆発の威力は、第二次世界大戦中に広島に落とされた原子爆弾185個分に相当する。
惑星研究者デヴィッド・モリソンは「この大爆発は、現代の人類がこれまでに経験したことのない最大規模の自然の大変動だ」と語っている。
ツングースカ大爆発で死傷者が発生したのかどうか、いまだにはっきりとはわかっていない。研究によると、1908年6月のあの日、爆心地付近に人はいなかったと考えられている。
判明している被害としては、爆風によって地元の牧畜業者が生計を立てていた数百頭のトナカイが死亡したことが分かっている。
レオニード・クーリック探検隊による調査
爆心地はあまりにも人里離れた場所にあり、さらには当時、ロシアの政治状況が混乱していたため、長年、科学者たちが足を運ぶこともできなかった。
初めて調査隊が現地へと向かったのは13年後の1921年のこと。
サンクトペテルブルク博物館のレオニード・クーリックは、1921年の調査隊を指揮し、現地へと向かったが、たどり着くことはできなかった。13年もの時間が現地の風景を大幅に変えており、場所が分からなくなっていたためだ。
クーリックはその後、1927年、3回目の出発でようやく現地にたどり着くことができた。
しかし、苦労してたどり着いたにもかかわらず、何らの物的証拠を見つけることはできずにその場を去ることになる。クレーターも隕石の破片も写真もなかったのだ。
具体的な証拠が見つからなかったことから、落下した物体は彗星ではないかとの憶測も流れた。岩石や鉄であれば、その名残があるはずだ。しかしそれらしきものは見つからない。彗星は主に氷でできている。溶けてしまえばなにも残らない。
13年経っても、その爆発の影響で倒された木々の痕跡は残っていた。
これらの木は放射状に倒れていた。
しかし、爆心地の近くでは、木は倒れていなかった。その代わり、爆風で枝や樹皮が剥がれ落ち、爆心地から離れた方向を向いてた。
動きの速い衝撃波では、枝が衝撃の勢いを木の幹に伝える前に、木の枝や樹皮が剥がれ落ちてしまうのはよくある現象だ。
ツングースカ大爆発から37年後、広島の原爆被害においても、同様の枝折れが観測されている。
調査隊は現地の人たちに当時の出来事を取材して回ったが、村人たちは固く口を閉ざした。
彼らはツングースカ大爆発を「怒りに満ちた神の仕業によるもの」と畏れていた。彼らが信仰していた神・オグディは、その怒りで人や動物を殺したり、木々を破壊したりすることで知られていた。
クーリック隊による情報収集は困難を極めた。
この大爆発は隕石が原因ではないかとの説を唱える研究者もいたが、現在、科学者の間では、小惑星または彗星が地球の大気圏に突入して爆発を起こしたというの説が有力だ。しかし、別の説もある。
・反物質の小さな粒子が大気圏に入り、物質と衝突した。
・エイリアンの宇宙船が墜落した。
・小さなブラックホールが形成された。
・核爆弾が爆発した。(しかし歴史上、最初の核爆発は1945年7月16日にニューメキシコ州での実験によるものだ)
2013年の隕石落下事件
2013年、ロシア上空を隕石が横切り、騒動を引き起こしている。
重工業が盛んなことで知られるロシア州チェリャビンスクでは、隕石の落下による衝撃で約1,000人がガラスの粉々になり怪我を負った。
建物の倒壊は免れたのは不幸中の幸いと言えよう。
チェリャビンスクで見られたような小さな隕石の落下は、100年に一度の頻度で発生すると天文学者は考えている。
一方、ツングースカ大爆発クラスの事件は、約300年に一度の頻度で発生していると考えられている。
科学者たちはチェリャビンスクの隕石を研究し、ツングースカ大爆発を分析した。
NASAエイムズ研究センターの小惑星脅威評価プロジェクトの研究者、ロリアン・ウィーラー氏は、隕石などの落下に関する脅威についていくつかの見解を述べた。
「小惑星が大気中でどのように分解し、地上でどの程度の被害をもたらすかについては、観測例が少ないため、分からないことが多く残っています。
しかし、最近の計算モデルの進歩とチェリャビンスクや他の流星イベントの解析により、これらの要因の理解が進み、将来の潜在的な小惑星の脅威をより良く評価できるようになってきています」
幸いなことに、地球の大気圏に突入したほとんどの流星は、大気圏内で崩壊してしまうため、地上に落下してクレーターを残したり、何年も冬の時代が続くような長期的な気象の乱れを引き起こすことはない。
小惑星が大気圏を通過して地上に落下するためには、常識外の巨大なサイズが必要になる。
専門家が6500万年前に恐竜を絶滅させたと考えている小惑星は、幅約6マイル(約9.7キロ)と考えられており、その落下の衝撃は現在のメキシコのユカタン州に110マイル(約177キロ)のクレーターを残している。
あの日、シベリアで何が起こったにせよ、人口の多い地域で起こっていたらもっと大きな被害をもたらしていたかもしれない大爆発があった。
その影響を感じた人もいれば、夜の異様な明るさの空を目撃した人もいる。
隕石説が有力だが、原因については別の説に固執する人もいる。
それでも、この出来事は現在も科学の世界において大いなる謎として研究されている。
天文学者たちは、6月30日を「小惑星の日」と定め、ツングースカ大爆発を記憶にとどめている。