明治維新から数年、革命は無事に終わったものの、まだまだ物騒な時代が続いていた。そんななか、新聞各社が次々に創設。社会のニュースを庶民が手軽に読めるようになっていく。政治、外交から街の名物おじさんまで、雑多な記事のなかから、奇妙な記事を選りすぐってご紹介する。
▼目次
雑司が谷の農夫、狐に騙され東陽町まで歩かされる
鹿児島県の海岸に「人魚」が打ち上げられる
明治時代のプライバシーや人権について考えさせられる記事
雑司が谷の農夫、狐に騙され東陽町まで歩かされる
明治5年4月5日の「東京日日新聞」に、狐にたぶらかされた男の記事が載っている。
概略は次の通り。
豊島区雑司が谷の農夫、後藤金三郎が、明治5年3月29日に早朝から馬糞取りのために下谷町2丁目(現在の東京都台東区上野4丁目)の馬場に向かった。
強風を感じたと思ったら気を失い、荷物もそのまま捨て置いて、どこへ向かうともなく歩き出し、「向島」という州崎村(現在の東京都江東区東陽一丁目)の土手にたどり着いたあたりで我に返った。
金三郎があたりを見渡すも、この場所に見覚えがない。
目の前には大きな川が流れており、左には遠く富士山が見える。さらに右手を見れば、こちらも遠く筑波山が見えた。
ようやく「ここは隅田川の堤防だな」と分かったものの、まだ頭がボーッとするので、タバコでも吸おうと腰にぶら下げていたタバコ入れに手を伸ばすと、誰か人間に奪われたかのようにすっ飛んで、川に落ちてしまった。
取りに行こうと、そのままの格好で水のなかに入ろうとしているところを、たまたま通りかかった警官がすんでのところで引き上げ、近くの交番へと運ばれた。
識者が解説するには、金三郎が放心したのは、狐の仕業に間違いがない。
しかし日々、勉学に励み、強い気持ちを持っていれば、狐を近づけることなどない。
たとえば、障子を閉めたと思っても、ほんの少しの隙間があれば、雨も風も入ってしまう。
人の心も同様だ。
常に気を引き締めて、妖怪の類に付け込まれないように、注意しましょう。
鹿児島県の海岸に「人魚」が打ち上げられる
明治5年6月2日の「東京日日新聞」が、鹿児島県の海岸に「人の言葉を話(しそうな)魚が揚がった」と報じている。
明治5年4月21日、鹿児島県下垂井の海岸に、異様な姿をした魚が打ち上げられた。
打ち上げられたときにはまだ、この怪魚は生きていたが、見ていた人の証言によると「怪魚は、なにかを言いたげな様子を見せていたが、しばらくして死んでしまった」という。
絵に寄せられた説明を見ると、長さ1尺5寸(約45センチ)、胴より下は鯛に似ているとある。
絵だけを見れば、かわうそやラッコといった水生の哺乳類に見えるが、下半身は魚で上半身に2本の腕があるとなると、正体不明のUMAというほかない。
怪魚というよりも、人魚のイメージに近い。不気味さしかないけれども。
しかし、記事の見出しである「物言う怪魚」は、さすがにミスリードではなかろうかと、本文を読むと笑ってしまう。
明治時代のプライバシーや人権について考えさせられる記事
明治時代、文明開化したと騒いではいたものの、プライバシーや人権の感覚は、江戸時代を脱してはいなかった。
明治5年9月12日、「東京日日新聞」が4手4足3耳の奇形児が生まれたと報じている。
明治5年8月29日、潮江村に住む士族の妻が産気づいた。
産婆では埒が明かずに困っていたら、越前国(現在の福井県)の貴族医生の山本○輔が、手を尽くして嬰児を取り出したが、すでに死んでいた。
取り出した嬰児は、4本の腕に4本の足、3つの耳を持っていた。
奇妙なことだと感じた山本は、この遺体を焼酎に漬けて県に提出したとのこと。
当時、奇形に関する記事は一般に広く報じられていた。
明治5年7月発行の「新聞雑誌54号」には、両性具有の幼児についての記事が掲載されている。
明治5年7月5日、羽後国(現在の秋田県〜山形県)の医師、岡部道庵が「新聞雑誌」社に、2歳の幼児を連れて来社した。
この子は岡部の実子ではなく、羽後国由利郡滝沢前郷村(現在の秋田県由利本荘市)の農家、尾留川新兵衛の子どもとのこと。
この幼児は、男女両方の体を持っており、陰茎はありながらも睾丸はふたつともなく、陰茎の下に小さな穴があり、そこから小便をする。
古今にも珍しい奇児だということで、医者である岡部が貰い受け、諸国の名医を尋ねて研究・治療を受けようと巡っているとのこと。
すでに新潟のある病院では、次のような診察を受けた。
これは、男性器の奇形にして、つまり睾丸が体内に留まって、下に降りてこないことが原因で起こっている。
尿道はただちに「○○○(解読不能)」から開口しているものなので、今後の生活に支障はない。
この子は、男性として育てればいいだろう、とのこと。