明治時代の実話怪談

明治時代の実話怪談「事故物件」


古来から怪異譚、妖怪譚は多く残されてきた。文明開化を遂げた明治時代以降もそれは変わらない。100年前の時代を生きた先人たちは、どんな怪異を目の当たりにしたのか。どんな現象に恐怖を感じていたのか。今回は「怪談百物語妖怪研究」より、現代にも通じる事故物件にまつわる怪異を現代訳した。

子どもの目にだけ映る「怪異」

私は東京市下谷区西黒門町16番地(現在の台東区上野一丁目近辺)に住んでいましたが、10番地に土蔵付きの家で、家賃の比較的安価な貸家がありました。
家の建て方がいかにも立派であったことと、家賃のあまりに安価なのに釣られて、その家を借りる気になりました。
しかし、この家に住む人は不思議とすぐに引っ越してしまい、1ヵ月と住んだ人はいないという話でした。
早い人は一週間ほどで引っ越してしまうため、自然と近所の評判も悪く、誰が言うともなく「あそこは化け物屋敷だ」と、噂が立っていました。
しかし、私はその家に惚れてしまい、長女の14歳と9歳の男の子、そして次女の7歳の3人を連れて、この家に移り住みました。
私は別に化け物が出るからといって、驚くことはないと高をくくっていたのですが、暮らしていると、9歳になる男の子が、その姿を見たのです。

大正中期の上野公園前

この家は、8畳の座敷と6畳と3畳の間を通ってはじめて、縁側に出て便所に着くですが、この9歳になる男の子は、毎晩2時頃になると、小便をしに便所へと立つのが常でした。
ある晩のこと。小便に向かった彼は、「お化けがいるよ」と大声に泣いて帰ってきたのです。
私は実にぎょっとしました。
しかし、子どもらのために、見て確かめておく必要がありますから、「どこにいる。少しも怖くないから言ってみろ」と言って、子どもを先に立たせて向かってみたところ、子どもは縁側のガラス戸を指差し、「あれ、あそこにいるじゃないか。あれ立っているよ、怖い顔のお婆さんがいるよ」繰り返すばかり。でも、私にはどうしても見えないのです。

バカを言え、どこにいると私が縁側に向かってみると、「あれ? どこかへ行ってしまったよ」とブルブル震えて言うのです。
ここで私が驚いてしまっては、子どもたちは大変な騒ぎとなってしまいますから、「なにも出はしない、怖いことはない」と慰めて、その夜はそれで休みました。こんなことが、その後も2〜3度ありました。いつもお婆さんが立っているというのです。

私も子どもたちのために、あまりよろしくないと思いましたから、隣近所の評判を聞き合わせました。
すると、この家はある請負師の立てた家で、随分金のかかった普請ではあるが、いかなる理由があったか、67歳になる母親が、縁側の角で首をくくって死んだそうです。
それからというものは、不幸に不幸が重なって、ついにこの家蔵をも人手に渡すようになったとのことでした。
不思議なことに、その首をくくった縁側のところへ、婆さんがいまも時たま姿を現すので、引っ越してきた人も、驚いて逃げ出してしまうということです。

さらに不思議なことには、私が病気で臥せるようになったことです。
私は身体が非常に丈夫で、37歳のときに一度患って以降は、一度も薬を飲んだことがないのに、ここに引っ越してきてから床につくようになったのです。
一月き過ぎても二月過ぎても、ブラブラ寝ていたので、ついに差し押さえを食うという目にあいました。悪いことは続くものです。

こんな家は家主も思い切って取り壊してしまうより他に仕方がありますまい。その後、数ヵ月して、ついに取り壊されてしまいました。

私は見たわけではありませんが、9歳の無心の目に、お婆さんがぼんやりと立っているよ、怖い顔をしてというのは実に不思議なことではありませんか。
親父さんが死んだやら、お婆さんが亡くなったやら、少しも聞いたことのない子どもの目に、婆が立っている姿を認めるとは、あまりに不思議ではあるまいか。
幽霊がないの、お化けがないのという人の心が解しかねます。
なぜかというに、こんな不思議な現象を、目に見ることを得るからであります。

明治18年の上野駅

出典:「怪談百物語妖怪研究」川村孤松著(大正4年刊)より「無心な子供の目に見える」