かつて訪れた「異界」のレポートをお届けする「異界散歩File」。今回は2005年の晩夏に向かった、岩手県雫石の「慰霊の森」について。東北地方最恐の心霊スポットと呼ばれるこの地だが、心霊スポットという呼称はふさわしくない。この地は「慰霊の地」であることを、どうか覚えておいてほしい。
▼目次
未曾有の犠牲者を出した墜落事故の現場へ向かう
慰霊の森は入口から「ただごとではない空気」が漂っていた
憑いてくる霊、引っ張り倒そうとする霊
突然の雨、そして突然の「闇」
未曾有の犠牲者を出した墜落事故の現場へ向かう
2005年9月、東北地方の夜は肌寒かった。以前から一度行きたいと思っていた場所に向かうため、取っていた宿で上着を一枚羽織って出かけた。
その場所とは「慰霊の森」。現地の友人からは「面白半分で行くべきではない」と止められた。
それでも一度、この目でどのような場所なのか、確かめておきたかった。
慰霊の森を軽々しく「心霊スポット」と呼ぶのはためらわれる。
その名の通り、非業の死を遂げた「霊」を「慰める」場所であって、友人の言うとおり、面白半分で行く場所ではない。
この場所でなにがあったのか、事前に調べて知っている。
それでもなお、その場所に行こうとしているのだから罪は重い。
1971年7月30日、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行していた全日本空輸(ANA)の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が空中で衝突、双方とも墜落した。
機体は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。
これは、1985年に日航機墜落事故が起こるまで、国内最大の犠牲者を出した飛行機墜落事故だった。
現地の友人は看護師の娘として育っていた。
「母親から当時の話は聞いている。お一人の遺体かと思って処置をしていたら、胴体から別の頭部が出てきた、そんな痛ましい事故だった」
そんな話も聞いた。
慰霊の森は入口から「ただごとではない空気」が漂っていた
慰霊の森の現地に深夜1時ころ着くように、宿を出た。
向かう場所は山の中腹にある。
県道172号線をひた走り、繋温泉を過ぎたあたりの小道を入った覚えがある。
駐車場の脇に、小さな小川が流れていた。
当時、週末になると集まっては、関東近郊の心霊スポットと呼ばれる場所に片っ端から訪れた。
廃墟、廃村、廃トンネル、廃病院、いずれも雰囲気に満ちており、なにがいてもおかしくない、そんな思いにさせられた。
一方で、数をこなせばこなすほど、一連のオカルト・スポットへの耐性もついていく。
簡単に言えば怖くなくなってしまうのだ。
もう、筆者たちは滅多なことでは驚かなくなっていた。
そんな我々が、初めて現場に向かうのを躊躇した。
空気が違うのだ。
なにかが見ている、なにかが近くにいる、そんな気配をいわゆる「零感(霊感がないこと)」である我々でも感じてしまう。
憑いてくる霊、引っ張り倒そうとする霊
意を決して車を降りた。
目的の場所は山の中腹にある慰霊碑だった。
現場へは山道を15分ほど登る必要がある。そのための整備された階段が用意されている。
そして山道の脇は、鬱蒼とした林が続いている。
階段を登りはじめて数分、得体のしれない違和感があたりを包んでいた。
強い視線を感じるのは間違いない。しかし、これは現場の雰囲気に飲まれているだけかもしれない。
その日の晩は、少々肌寒かったものの空は晴れ、風も穏やかだった。
にもかかわらず、周囲が大変「やかましい」。
現場に向かったチームは筆者を入れて5人。
それなりの人数であることは確かだが、全員軽口を叩く余裕はない。無言で階段を登っている。
このやかましさはなんだろうと登りながら考えていて気がついた。
「すぐ脇の林から音がする」
聞こえるのは、草むらをかき分ける音。
それも、我々と歩調を合わせるかのように一定のスピードで、ずっと着いてくる。
後から確認したところ、そこにいた全員がこの音は聞いていた。
筆者も含めて「ここでパニックになったら、本当にまずい」という思いで黙っていたとのことだった。
写真は筆者が撮っていた。
階段を登る隊列は、筆者が一番後ろで写真を撮りながら、前方4人の足もとを懐中電灯で照らす。
一番前を歩く人間が、若干振り返りながら懐中電灯で2〜4人目の足元を照らす、真ん中の3人目も懐中電灯を持つが、彼は何かおかしな物があったらその場所を照らす役割を担っていた。
写真はろくにファインダーを覗くことなく、適当にシャッターを押した。怖かったのだ。
すぐ脇から感じる気配と音、そちらも撮影した。なにかを狙ってフォーカスしたわけではない。
曲がりくねった山道を登っていると、カーブの部分で若干の渋滞が起こる。
特に、一番前の人間が曲がるときには、前方を注意しながら、さらに真ん中のメンバーの足もとを照らしながら曲がろうとするためにスピードが落ちる。そこで歩みが滞るのだ。
最後尾を歩いていた筆者が「なにかおかしい」と思い始めたのは、2つ目、3つ目くらいのカーブを曲がった辺りだった。
背後に強い気配を感じる。背中(右肩の辺り)に手の平が、ベタッと貼り付いているような気がする。
緊張で肩が凝ったのだろう、そう思ったのを覚えている。
さらに進んで、4つ目ほどのカーブに差し掛かった辺りだっただろうか。このあたりの記憶は曖昧だ。
軽く渋滞を起こしているのを待っていると、「ググググググ」と、右肩を後ろに引っ張られた。
「!」
声が出ない。後ろに倒れそうになるところをなんとか踏ん張って振り返る。
当然、誰もいない。
後ろに引っ張られたのは確かだった。
しかし、肩を掴まれて倒されそうになったのではなかった。
右の肩甲骨あたりに貼り付いた手の平が、「ズブズブズブ」と背中から腹部に向けて若干、入り込んで身体と一体になったか? と思ったら、そのまま後ろに引っ張られたような感覚だった。
冷や汗と足の震えが止まらなかったが、メンバーに悟られないよう、そのまま黙っていた。
突然の雨、そして突然の「闇」
慰霊碑のある中腹へと着いた。
山の中腹が平らに整地されている。
あたりには道具入れだろうか、ちょっとした倉庫や、一列に並んだお地蔵さんも置かれている。
目指した慰霊碑は、すぐ見つかった。
たった15分程度の山登りで、一行は全員疲れ果てていた。
平地となった狭いスペースを一通り見渡した後、慰霊碑の前で写真を撮ることにした。
慰霊碑の前をうろうろとしていたとき、突然大粒の雨が降ってきた。
この日、雨が降るなど一言も天気予報では言っていなかった。
昼間だって美しい青空が広がっていた。
ついさっき、車で駐車場に降り立ったときにも、空にはきれいな星空が広がっていた。
この突然の雨に、筆者たちは慌てて木ノ下に入って、雨宿りをすることにした。
数分後、先ほどの強い雨がウソのように雨はやんだ。
じゃあ、並んで写真を撮ろうか……と話していると、辺りが突然真っ暗闇に包まれた。
誰も、声を出せなかった。
先ほど説明した通り、現場には懐中電灯が3つ灯っていた。
一番前を歩いていた人間にひとつ、真ん中の人間にひとつ、3つ目は筆者が持っていた。
その3つの懐中電灯が、一気に切れて点かなくなった。
「接触が悪いみたいだね」
一番年長だった同行者が、苦し紛れに声を発したのを今でも覚えている。
「そうだね、雨も降ったしね」
そのような言葉を返したんだろうと思う。それぞれ懐中電灯の蓋を開け、電池を一度出してから再度入れ直した。懐中電灯はまた点いた。
写真を撮り終えると、逃げるように階段を下り車に乗った。
すぐ近くのコンビニエンスストアに車を停め、一服したところでようやく人心地がついた。
ついさっきまでいた山中の、異様な雰囲気について各々、一方的に話しまくった。誰も人の話など聞いてなどいない、それほど気持ちが高ぶっていた。
ずっと見られていた、ずっと着いてきていた、声がした、林に人が立っていたが写真は撮れたのか?
ひとりじゃない、何十人もの気配があった、あの雨はなんだ? なぜ3つの懐中電灯が一気に切れる? そんなことはあるのか……?
数え切れないほどの心霊スポットを経験してきた一行だったが、慰霊の森ほど異常な出来事が立て続けに起こった場所はなかった。
現地の友人の「面白半分で行くべきではない」、そのとおりだと思った。
以下は余談。
・宿について撮影したデジタルカメラの写真を確認した。林の中を撮影している写真の1枚に、こちらを向いて首を少し傾けながら立っている男性のようなものが写っているものがあった。「これはなんだ」と大騒ぎになり「モノノケくん」と名付けた。この記事を書くにあたって写真を見返したが、無くなっていた