明治維新から数年、革命は無事に終わったものの、まだまだ物騒な時代が続いていた。そんななか、新聞各社が次々に創設。社会のニュースを庶民が手軽に読めるようになっていく。政治、外交から街の名物おじさんまで、雑多な記事のなかから、奇妙な記事を選りすぐってご紹介する。
▼目次
狐祓いの祈祷の末に命を落とす
明治時代の「心霊スポット調査隊」
狐にとりつかれた女中
神木に祟られ命を落とす
半豚半人の子、前橋で産まれる
狐祓いの祈祷の末に命を落とす
明治6年(1873年)4月9日発行「東京日日新聞」より。
愛媛県下伊予宇和郡久良浦の農家、新九郎の息子である浅七が、鼻筋にできた細かい吹き出物に悩んでいた。
医者に見せたところ、この医者がまだ未熟だったためだろうか、処方した薬を服んだ浅七は、瞳孔が開き、突然奇妙な空言を発しながら、まるで狐や狸に取り憑かれたかのごとく暴れまわった。
困り果てた新九郎は、空海の開いた平城山・観自在寺に浅七を連れ、住職の高玄に治療の依頼をした。
高玄は「これは狐狸の仕業だ」と判断、新九郎以下、家族もその言葉を信じ、どうか祓って欲しいと高玄に頼み込んだ。
高玄は「弘法大師の秘密の祈祷を以てすれば、どんな狐狸妖怪のたぐいといえども、簡単に祓うことができる」と語ると、黄色い枯れた松の枝を手に、浅七を裸にし、手足を縛って動けないように固定し、松の枝に火をつけた。
その様子はまるで、鶏を絞め殺す際に羽根を焼き払うのに似ていた。
浅七は苦しんで、悲鳴を上げる。
その様子を見た新九郎らは、手を袖に入れて見守っていたが、「早くその霊力を以て助けてやってください」と訴えるも、高玄は「私は、浅七に恨みがあってこのようなことをしているのではない。取り憑いている妖怪を燻しているのだ。もし、この術のためにこの若者が死ぬようなことがあれば、私の身体はもちろん、この寺に至るまですべて焼き払おう」という。
新九郎らは、その言葉に引き下がる他なかった。
やがて高玄は席を立ち、本堂へ向かうと、独鈷(密教で使う仏具の一種)を手に戻ってきた。
「これは、かつて弘法大師自らお使いになったものだ」と、独鈷で浅七を叩きのめし始めた。
やがて浅七の身体は裂け、血が吹き出し、骨も見え始めた。
泣き叫ぶ浅七の声が落ち着いた頃、様子を見ると、絶命していた。
新九郎らは、慌てて蘇生を試みるが時既に遅し、浅七は戻らなかった。
高玄は言った。
「名高い医師であっても、すべての命を救えるわけではない。浅七が死んだのは、私が独鈷で叩きのめしたからではないのだ。彼にとって、この日が寿命だったのだろう」
新九郎はこの言葉に激怒し、必ず浅七のために復讐し、この僧を八つ裂きにしてその肉を食ってやると涙を流したが、家族に「和尚を殺しても、いっときの恨みは晴れるかもしれないが、そんなことをしたら浅七が成仏できなくなる」と止めた。
納得した新九郎だったが、悲しみは癒えない。
警察に訴え、数日後、高玄は逮捕された。
明治時代の「心霊スポット調査隊」
明治6年(1873年)10月発行「新聞雑誌 154号」より
千葉県下総国に、「八幡の森」と呼ばれる、周囲十町(約10万平方メートル)の小さな森がある。
この森は、古来から人の立ち入りを禁じていた。
里の人は「八幡の八幡知らず」と呼んでいる。
最近、千葉県佐倉本町の商人、日暮瀧二郎というものが、一日この森を散策しようと思いたった。
日暮はたいへん肝が座っており、世間の怪しい説を解いてバカバカしい伝説などありはしないと証明してやろうと考えた。
土地の古老たちは無益に命を捨てることはないと引き止めたが聞き入れず、若者50〜60人を集め、森の周囲を取り囲み、自身の安否を確認できるように手配を進めてから、森の中へと足を踏み入れた。
瀧二郎が森の中腹に差し掛かった頃、突然その姿が見えなくなった。
集まった人々は大いに慌てたが、やがて瀧二郎が姿を現すと、内部について説明を始めた。
「森の中央に穴が空いており、そこから大きな木が3本生えている。
その木ノ下に入ると、落ち葉は一片も落ちておらず、きれいな場所になっている。特に怪しい場所は見当たらない。
唯一、奇妙なのは、使った形跡のない染め付きの花瓶がひとつ、木ノ下に置いてある」
と語ると、その花瓶を集まった村人たちに見せ、この場所に妖怪などいないことを証明した。
狐にとりつかれた女中
明治7年(1874年)1月25日発行「郵便報知」より
湯島妻恋坂下五軒町共慣義塾の前で、待合喫茶を営む泉屋徳三郎が雇っている女性店員の「そで」が、1月17日の夜10時過ぎ、主人の命で酒のつまみを隣町まで買いに出かけた。
その帰路、狐に取り憑かれた様子で、帰宅すると取り留めもないことをあれこれ言い出したが、しばらくするとそのまま眠り、翌朝になると狐もいなくなったようで、元のとおりに戻った。
神木に祟られ命を落とす
明治7年(1874年)8月5日発行「東京日日新聞」より
浅草観音の境内に、北村という汁粉屋がある。
その店の裏には古くからその地に根付いた大木があった。
土地の者たちは宇賀神の神木だといって、敬っていた。
その大木の幹は半分朽ち欠けており、小さな蛇の巣窟となっており、ときおり、枝を這い下りて蛇が庭をウロチョロする。
北村の主人は「枝を切りたい」と思い、近所の修験者に相談に訪れた。
修験者は「神木なので、下手に枝を切ったら祟りがあるかもしれない。私が加持祈祷をする」と話すと、数珠を鳴らして何やら呪文を唱えた。
一連の祈祷が終わると「これで大丈夫。さあ、切りなさい」というので、主人自ら枝に手を伸ばして切り落とした。
不思議なことに、その日の晩から主人は寝込み、10日あまりでそのまま亡くなってしまった。
半豚半人の子、前橋で産まれる
明治7年(1874年)8月6日発行「新聞雑誌」より
熊谷県前橋大渡町で養豚業を営む茂木一郎邸において、昨年8月17日午前10時に、飼育していた豚が奇怪な子豚を産んだ。
雇っていた飼育員がひとり、この子豚をみると突然血相を変えて、その夜のうちに逃げ出してしまった。
思うに、この逃げ出した飼育員は、飼っていた豚と獣姦に及んでいたのではないだろうか。
茂木氏はこの子豚を博覧会に出し、検査を受けたという。