関西地方で地鳴りの報告相次ぐ

大正時代の実話怪談「関東大震災の予言者たち」


新型コロナウイルスがもたらした社会不安は、有象無象の予言者たちを現在も生み出し続けている。
大正時代も同様だ。関東大震災直前、日本は未曾有の不景気に見舞われ、人心は不安定だった。そこに「帝都に大地震が起こる」との不穏な予言が複数、世間に広まった。現在と異なるのは、それらの予言が的中したことだ。

▼目次
精神を病み予知能力を発揮・加藤確治の予言
仙台の聖人・高梨賓山の予言
神の罰とのお告げを発表・本道宣布会

精神を病み予知能力を発揮・加藤確治の予言

大正時代前期、実業家として活躍するも、大正8年頃に精神を病み大本教に入信するも、妄想が嵩じて大本教の乗っ取りを図る。
大本教の幹部を拳銃で脅す直接行動に出るも果たせず、時の検事総長や新聞各社に、妄想から生まれた事実無根の中傷文書を送って大本教の不正を告発し、世論を作ろうと暗躍する。

加藤が送った主張文

その後、京都や東京都内で行者生活を送る中、大正11年の8月頃から「翌大正12年9月1日午前11時30分、東京に大地震が起こる」と叫びだし、道行く人々に警告を発するようになる。

しかし、いかんせん精神を病んだ行者の行動だったため、病人の妄想と受け取られ信じてもらえず、いよいよ関東大震災の数日前に、東京都内に置いていた家財を持って加藤は京都府綾部市へと避難する(当時、大本教の本部も綾部にあった)。

結果、関東大震災を日付、発生時間ともに予知を成功させたものの、その後、精神病が軽快するのと合わせて予言の類もできなくなり、「あの言動はすべて邪霊のせいだったのだな」と周囲に評価されたという。

仙台の聖人・高梨賓山の予言

加藤とは一線を画し、周囲から厚い信頼を寄せられていた高僧だったがゆえに、地震予知を信じられた聖人がいる。

高梨賓山は「仙台の聖僧」と呼ばれた高僧だった。
その高梨が関東大震災を予知したのは、大正12年の7月21日のこと。
翌月8月21日には東京の信徒たちへ「9月1日の午前10時に大地震が起こり、東京は焦土と化す。急報」と印刷したチラシを郵送したことが知られている。

高梨の警告は、送り手に広く受け入れられ、その多くが当日までに他県へと避難に成功、大震災の厄災を逃れた人が多くいたと伝わっている。

しかし、高梨の予言は実際の発生時刻よりも約2時間早い時刻を指定していた。

神の罰とのお告げを発表・本道宣布会

当時、東京都新宿区四谷坂町にあった本道宣布会が、関東大震災の発生した大正12年の6月13日に、神懸かりによるとして次のようなお告げを発表した。

「関東一帯に大地震が起こる。(中略)これは神意であるため、発生する日時を明らかにすることはできない。しかし、近く発生すると心得よ。
この大地震によって、立派な建物は簡単に崩れ去り、狭小な家屋はかえって無事である。これから起こる大地震は、先年に起こった濃尾地方での地震とは比べ物にならないほど大きなものだ。
京橋、日本橋、神田、下谷、本郷を中心に、ほとんど全市にわたって一瞬のうちに焦土と化す」(※筆者による意訳)

本道宣布会の信徒にこのお告げはもれなく周知されたが、発生時期を明確にしていないがために、皆、実際に関東大震災が起こるまで対応できずにいた。

この時期が明記されなかったのは、人心悪化の天罰の地震であることから、神は人間に知らせることを好まないからだと上記お告げで明言されている。
先に記した2人の人間による「予言」と、神による「預言」との違いがここに現れている。

本道宣布会には、関東大震災の預言以外にも記録に残ったお告げがある。

大正9年4月2日、宇都宮市の松川某に神が降りた。
その内容は、「皇居の近くに穢れの集団が起こった。神は天の矛の火をもって近いうちに焼き払う」というものだった。

天の矛の火とは神の霊火であろうと信者たちは話し合った。
しかし、穢れの集団とはなにを指すのか、さっぱりわからなかった。

事態が判明したのは半年後の10月4日のことだった。
その日の午後4時、皇居前にキリスト教徒から集めた70万円で建てた「万国日曜学校」が、開校式を執り行っているさなか、屋上の無人かつ火の気のない場所から発火、わずか20分で全焼してしまった。
信者たちは「このことだったのか」と驚嘆したという。

この話にはひとつ別のエピソードがある。
当時、この万国日曜学校近辺では「怪火」の噂があったと伝えられている。
日本の八百万の神を信奉し、キリスト教は「穢れの集団」と断じる神によるお告げ。
その「穢れの集団」の教会に立った怪火の噂。
噂が立って間もなく、火の気のない場所からの発火で全焼した建物。

「答えはひとつ」ではないかと思うのだが、読者諸賢はどのようにお思いか。