ロマノフ家はロシア最後の皇族で、1917年の革命前には、ニコラス2世とその妻アレクサンドラ皇后が権力を握っていた。
アレクサンドラ皇后は超自然現象を信じていた。そのため、彼女の精神的なアドバイザーとして僧侶を雇うことになった。その僧侶の名はグリゴリー・ラスプーチンという。
我々はラスプーチンが単なる敬虔な僧侶ではないことを知っている。彼は歴史上もっとも邪悪な人物の一人でありーー、おそらく悪魔の化身である。
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▼目次
01.彼は神童だった
02.彼はセックス教団に参加した
03.彼は奇跡的なヒーラーだった
04.彼はひどいにおいがした
05.彼は帝国を操った
06.彼は敬虔な弟子を持っていた
07.彼は悪魔と一緒に働いていた
08.彼は誰からも嫌われていた…自分自身を含めて
09.彼を殺すことはできなかった
10.彼は死から蘇った
01.彼は神童だった
グリゴリー・ラスプーチンは、シベリアの小さな村、トボリスク県ポクロフスコエ村で農民の子として育つ。彼の家族は文盲で、馬泥棒で有名だった。
ラスプーチンは子供のころ、自分には特別な力があり、人を治したり未来を見ることができると吹聴した。
当時のロシアでは、オカルトが流行していた。
村の農民たちは当初、彼を火あぶりの刑にするべきだと騒いだが、彼の不思議な力を目の当たりにするうちに、彼が信じられない力を持っていることを受け入れている。
その結果、ラスプーチンはは悪態をついたり、盗みをしたり、酒を飲んだり、寝泊まりしたりといった悪事に手を染めずに済んだのは皮肉なことだ。
長じてラスプーチンは結婚して子供をもうけた。
しかし、28歳の時に「僧侶になりたい」と言い出し、修行に向かうために妻子を捨てて村を出ている。
ラスプーチンは修道院での生活を始め、司教になるための修業に入ったが、そのうちに「これではない」と思い至り、シベリアの森へひとりで入っていく。
シベリアの森には狼や虎、熊、毒蛇、クズリといった危険な動物が生息している。時が経ち、ラスプーチンがようやく村に戻ってきたとき、人々は彼がすっかり変わっていることに気がついた。
彼は長い髭を生やし、その目にはただごとではない霊力が宿っているように思われた。
02 彼はセックス教団に参加した
家族や友人たちは、ラスプーチンが森にいる間に、何かが変わったことを感じ取っていた。
ラスプーチンはふたたび村を出て、「クライスト」と呼ばれる非合法のカルト教団に入信していたとされる。信者たちは罪を犯すことでしか真の救いを得られないと信じ、踊り狂ったあとは大規模な乱交パーティーに溺れていた。
当時、「クライスト」は非常に人気のあるカルト教団となっていた。
ラスプーチンはふたたび故郷の村に戻り、独自のカルトを始め、信者との性交渉を続けた。
なぜ村の女性たちが、家族を騙してまでラスプーチンのカルト教団に入信したのだろうか。
彼は魔法の力のほかにも、別の要素で有名だった。ラスプーチンの死後、彼のペニスを保存したのにはそれなりの理由がある。当時から、彼のペニスは異常に大きいと噂が広まっていた。
ラスプーチンの評判は広く広まっていき、ときには別の地域で優雅に暮らしていた貴族の女性たちでさえも、この「人気僧侶」と罪を犯す機会を求めて、はるばるやってくるほどだった。
03 彼は奇跡的なヒーラーだった
34歳になったラスプーチンは小さな村の村人たちに説教することを止め、首都であるサンクトペテルブルクに拠点を移す決意をした。
彼は聖母マリアから啓示を受け取ったと主張、「王室が自分の助けを必要としている」として、村を出ていった。
アレクサンドラ皇后はロマノフ家の跡継ぎとなるべき男児を産む必要があったが、長い間、男児に恵まれなかった。
彼女は非常に迷信深く、オカルトを信じていたので、何人かの神秘主義者に相談して男の子を産めるように相談した。
1904年、念願かなって、長男アレクセイが誕生する。しかし残念なことに、アレクセイは血友病を患っていた。血液が固まらない難病で、万が一、彼が出血する怪我を負えば、そこからの出血が止まらないことを意味していた。
ラスプーチンがロマノフ家に紹介されたとき、アレクセイの病気は伏せられていた。ラスプーチンは少年のために祈りを捧げ、同時に「医者を近づけないように」と助言した。
助言が功を奏したのか、アレクセイの病状は徐々に快方に向かっていく。ニコライ2世とアレクサンドラ皇后は大いに喜んだ。
現代の研究家は、これは決して魔法の力ではなく、医師が処方していたアスピリンをラスプーチンが服薬させなかったことが理由ではないかと考えている。
当時、アスピリンは万能薬として医師が安易に処方することが多かったが、実際にはアレクセイの血友病を悪化させていたと分析している。
ラスプーチンが文盲であったにもかかわらず、医学の知識をどこで身につけたのは不明のままだ。
04 彼はひどいにおいがした
ラスプーチンに会った人たちの証言によると、彼は一度も風呂に入らなかったという。
長く伸ばしたひげには食べ物のかけらが引っかかり、ぶら下がっているのをよく目撃されている。
また、彼は半年間同じ下着を身につけていたとの証言も残っている。
ロシアを訪れたフランス大使は、彼の体臭を「まるでヤギのようだ」と言い残している。さらに、彼が動くものすべてと肉体関係を持っていたことを知り、不快感をあらわにした。
しかし、ラスプーチンの信者たちはどうやら彼のだらしない姿が魅力的に写っていたようで、誰も彼の不衛生な生活を気にしてはいなかったようだ。
不快な匂いを発しながらも多くの女性を狂わせた秘密は、魂に焼き付くようなその目だったと言われている。
非常に強い目力で他人に催眠術をかけていると、一部の人は信じていた。
05 彼は帝国を操った
アレクセイ病を治したあと、ラスプーチンははニコライ2世とアレクサンドラ皇后に、「自分がいなければアレクセイは死んでしまう」と信じさせることに成功する。
アレクセイは唯一の王位継承者であるため、2人はラスプーチンの要求を受け入れざるを得なかった。
噂によると、ラスプーチンは好きなだけ皇后と寝ることを許され、娘たちとの接触も許されていたという。
ラスプーチンは皇帝と皇后を「パパ」「ママ」と呼ぶようになり、まるで自分も家族の一員であるかのように振る舞った。
そしていつしか、「神からの啓示だ」の名目で、彼の指示通りに王室を動かすようになる。
誰かがラスプーチンを不愉快にさせるようなことをすれば、すかさず彼はそのことを皇后に伝え、告げ口された相手は厳しく罰せられた。
他人に催眠術をかける「目」も健在だった。
ラスプーチンは成功するカルト教団の指導者に必要な、あらゆる資質を持ち合わせていた。ゆっくりと、しかし確実に周囲の人々を操り、ロシア王室の黒幕として、無制限の権力を手に入れていた。
06 彼は敬虔な弟子を持っていた
ラスプーチンは、彼の話を聞くために女性たちを自らの住居に招いた。
多くの女性に囲まれる生活を送っていたが、ラスプーチンはそれでも満足してはいなかった。
彼を尾行していた秘密警察は、ラスプーチンが1日に何度も売春婦を雇っていたと記録に残している。
ラスプーチンを信奉したあまり、悲劇的な最後を迎えた女性信者は大勢いた。
オルガ・ロクティナという美しい女性はその中でももっとも不幸と言えるだろう。
彼女はもともと、耐え難いほどの痛みを伴う腸管神経衰弱症に苦しみ、ラスプーチンの元を訪れた。
ラスプーチンは、彼女から痛みを取り去った。このことをきっかけに、オルガは彼がキリストの再臨者であると確信し、弟子の一人になりたいと思うようになる。
オルガは夫と子供たち、そして裕福な暮らしを捨てて、ラスプーチンのアパートに引っ越した。
この行動は騒ぎとなり、世間のスキャンダルとなる。新聞でも報道され、警察も厳しく監視した。
オルガはラスプーチンの元を訪ねた者には彼を「神」と呼べと要求した。
やがて、オルガは正気を失っていく。ラスプーチンと一緒に暮らせば暮すほど、精神状態は不安定になり、最終的に彼女は精神病院に送られた。
07 彼は悪魔と一緒に働いていた
ラスプーチンは日記の中で「自分は悪魔との戦いを続けている」と記している。
彼は自分の中に眠っている悪を撃退するために、わざと罪深い行動を取っていたとされる。
たとえば彼は女性を浴場に連れて行き、「悪魔に憑依されている」と主張して殴り続ける。
悪魔を無事浄化すると、そのまま彼女たちとの性交渉を行っている。
ラスプーチンは、悪魔を見ることができると主張しており、実際に、道の真ん中で見えないなにかに向かって彼が叫んでいる様子を、何人もの人々が目にしている。
ある日、サンクトペテルブルクの司祭ふたりが、ラスプーチンの行動を問い詰めた。
ヘルモゲンという司祭は、ラスプーチンが多くの女性と淫行に励み、傷つけているとして、ラスプーチンのペニスをつかんで「お前は反キリストだ!」と罵り、巨大な十字架で彼を打ち据えた。
もちろん、ラスプーチンはその後、皇后にそのことを告げ口した。司祭たちはサンクトペテルブルクから追放された。
08 彼は誰からも嫌われていた…自分自身を含めて
とはいえ、誰もがラスプーチンを盲信していたわけではない。
彼が王室の顧問を務めていた間、彼は多くの敵を作った。
多くの男性は、彼が女性と寝て回って、自らをキリストであると主張していることに苛立ちを隠さずにいた。
第一次世界大戦中、皇帝ニコライ2世が兵士たちと一緒に戦っていたとき、ラスプーチンはアレクサンドラ皇后に決断を促した。
その結果、ラスプーチンの友人たちが政府の役職に就くことになる。誰もが、その決断の裏にはラスプーチンがいたことに気付いていた。
新聞には、ラスプーチンと皇后が不倫している無礼な風刺漫画が掲載された。
アレクサンドラ皇后はドイツ生まれで、ヴィクトリア女王の孫娘だった。
彼女はロシアで生まれたわけではないため、彼女が本当にロシアの未来を気にかけていたのかどうか、人々に疑念を抱かせるに十分な理由となった。
ラスプーチンは多くの人々が自らの死を望んでいることを知っていた。
彼はアレクサンドラ皇后に警告した。
「もしロマノフ家の血を引く者が、自分を殺すようなことがあれば、私は家族全員に呪いをかけ、2年以内に確実な死を迎えるようにするだろう」。
09 彼を殺すことは不可能だった
ラスプーチンには多くの敵がおり、何度も暗殺が試みられた。
最初に彼を殺そうとしたのは、イリアドールという神父だった。
彼はラスプーチンを悪魔の化身だと信じていた。
彼は虐待を受けて鼻を切り落とされたキホーニヤ・グセーヴァという売春婦を雇い、ラスプーチンの殺害を依頼した。
彼らはラスプーチンが自宅に帰るのを待ち、帰宅と同時に実行に移した。
グセーヴァは彼の腹部をナイフで刺し、腸まで抜き取った。
にもかかわらず、なぜかラスプーチンは死ぬことはなかった。
彼が入院している間、ロシアは第一次世界大戦に突入している。
ラスプーチンはニコラス2世に手紙を書いて戦争を止めようとしている。手紙には「”我々は血に溺れるだろう」と書かれていた。
皇后の義理の甥であるフェリックス・ユスポフは ラスプーチンが国を滅ぼす前に ラスプーチンを殺そうと計画した。
彼のラスプーチンを誘い出すことに成功する。ユスポフの申し出を、彼は断れなかった。
ユスポフは、彼の美しい妻イリーナが「セックス依存症に苦しんでいる」と持ちかけた。彼女の依存症を治すために、あなたの力が必要だと訴えた。
自宅でパーティーを開いたユスポフは、ラスプーチンを夕食に招待した。
ユスポフはすべての食べ物と飲み物に青酸カリを混入した。
その量は、象の群れを殺すのにも十分な量だった。
しかしラスプーチンは、いずれの料理と酒を平らげたにもかかわらず、変わった様子は見せなかった。
ユスポフは待ちくたびれた。
やむなく彼は、銃を取り出してラスプーチンの心臓を撃ち抜いた。
10 彼は死から蘇った
1997年公開のアニメ映画「アナスタシア」では、ラスプーチンが死から蘇るために悪魔の力を操り、ロマノフ家に襲いかかる。
史実を元にした物語に、このような妖怪じみた存在を登場させるのは、馬鹿げているように見えるかもしれないが、このエピソードは実際に起こったことと、それほど遠くかけ離れているわけではない。
その日、現場にいた目撃者によると、ユスポフはラスプーチンに毒を盛り、さらに心臓を銃で撃った。
それでもユスポフは不安を覚え、ラスプーチンの死体を確認しに行った……ら、目を開け、ラスプーチンは中庭に向かって走り出した。
ユスポフたちは、ラスプーチンの頭を複数回銃で撃った。助かる見込みはないはずだった。
しかし、彼らは念のためにラスプーチンを金属の棒で滅多打ちにし、彼の体を縛り上げて凍てつくような冷たい川に放り込んだ。
その後、ラスプーチンの死体を引き上げ、検死が行われた。
その結果、肺に水が溜まっていたことが判明する。
つまり、頭を撃たれても、水中に投げ入れられたときにはまだ息をしていたことになる。もちろん、後世の研究家たちは、ユスポフが話を大げさに持っているに違いないと考えている。
ラスプーチンがロマノフ家にかけた呪いは、現実となった。
その後、ロシアには革命が起こり、ロマノフ家の人々は子どもたちまで全員処刑されている。